2009年 06月 14日
『日本の自画像』@世田谷美術館
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世田谷美術館で来週末(~6/21)まで開催されている企画展、『日本の自画像 写真が描く戦後 1945-1964』へ。
2004年に岩波書店から発売された写真集「日本の自画像」を元にした企画で、戦後日本の写真界を代表する写真家11人を選び、<敗戦の余波><伝統と近代のはざまで><新しい日本へ>という3部構成で戦後の日本を象徴している写真をセレクトしたのはパリ在住のキュレーターで日本写真史研究家のマーク・フューステル氏とのこと。
当然、当事者である日本人と外国人とでは見る目も違うのだろうけれど、日本の文化・芸術に興味を持った外国の方(専門家)が過去にも現在にも多くいて、それをこよなく愛して、憂いて、また時にはその美しさや重要性や別の側面を私たちに再認識させてくれる、そんな日本を見つめる'外国人の目'があるというのは嬉しくて、ありがたいと、そういった人たちの存在や功績を知る度に思うんです。
因みに、マーク・フューステル氏のブログはこちら、Shashin etc.やeyecuriousで。また、この「日本の自画像」展に関するjapan exposuresのインタビュー記事は、Interview with Marc Feustelで。
敗戦から東京オリンピックまで。勿論お江戸の時代から受け継いで来ているものもあるのだけれど、1964年は東京のその後の大きな大きな基点だったのだろうと思うので、1962年生まれの私は、その時代と人々が造ったものを丸ごと頂いて享受しながらスタートを切った世代。敗戦の衝撃も混乱も知らず、何の苦労もなく、当たり前の様に歩き始めた世代ですよね。
両親はその時代が青春真っ只中だった世代。辛うじて戦争から戦後の体験がある世代だけれども、この写真展の時代を生きた人が親であるということは、私にとって大きな意味と影響があって、それは(敗戦の余波を体験した両親にとっては)不幸中の(それをまだ両親から感じ取れる時代の位置にいた私にとっては)幸いなのだな感じてるんです。勿論、その時代を生きた人たちの生命力や強さを引き継げているとは思わないけれど、少なくとも全くの他人ごとでも、想像も出来ないほど遠くかけ離れた時代のことでもないと言う点で。あぁ、そう考えると、私の両親は立派に'日本の自画像 1945-1964'ではないですか。
その時代のことを時折話しで聞いたり、教科書の写真で見たり、インターネットで情報を見たりするより、こうやって無声のスライドショーの様に次から次へと当時の様子を見るというのはインパクトがあるんですね。インパクトと言っても、沁み込んで来る様なジワッとした静かなインパクトで、こちらの想像力をかき立てるものなんですが。写真の持つ強さなんでしょうか。言葉は変だけれども、当時の人たちの表情を見ることが出来て'嬉しい'と感じたり、生き生きとしたエネルギーを感じたり、じゃぁ、一体今という時代はどうなんだろう、今を写した写真にはどんな表情が表れるのだろうかと考えたり。
地味な企画だからなのか余りお客さんが入っていなかったのだけれど、その代わりに落ち着いて見れたのが幸い。写真自体はサイズがそうそう大きいものがある訳ではないので、大きな美術館では余りにもスペースが広過ぎて、壁に小さな写真を並べただけの様な感じが否めなかったのがちょっと残念。
企画のcrevisのHPによると、この後約2年間の予定で日本国内を巡回して、その後、欧米の美術館を巡回する予定とのこと。先に巡回して話題になった後なら多くの人が足を運んだのかも知れないですね。
世田谷美術館は、車が数珠繋ぎになる環八と東名の用賀IC角にある砧公園の一角。でも、こうやって歩いているとマイナスイオン(+たっぷり排気ガスも、笑)を浴びてのんびり。どこから行っても電車とバスを利用しないといけない様な、車以外はちょっと不便な場所なんですけれど、天気の良い日にはピクニックがてら美術館を覗くのもいいもの。思いのほか週末はお天気がもって気温も高く、そんな中で渋滞でいつ来るとも知れぬバスを待つのはさすがに暑かった。天気が良い日の外歩きは帽子が必要な季節となりましたね。
2004年に岩波書店から発売された写真集「日本の自画像」を元にした企画で、戦後日本の写真界を代表する写真家11人を選び、<敗戦の余波><伝統と近代のはざまで><新しい日本へ>という3部構成で戦後の日本を象徴している写真をセレクトしたのはパリ在住のキュレーターで日本写真史研究家のマーク・フューステル氏とのこと。
当然、当事者である日本人と外国人とでは見る目も違うのだろうけれど、日本の文化・芸術に興味を持った外国の方(専門家)が過去にも現在にも多くいて、それをこよなく愛して、憂いて、また時にはその美しさや重要性や別の側面を私たちに再認識させてくれる、そんな日本を見つめる'外国人の目'があるというのは嬉しくて、ありがたいと、そういった人たちの存在や功績を知る度に思うんです。
因みに、マーク・フューステル氏のブログはこちら、Shashin etc.やeyecuriousで。また、この「日本の自画像」展に関するjapan exposuresのインタビュー記事は、Interview with Marc Feustelで。
敗戦から東京オリンピックまで。勿論お江戸の時代から受け継いで来ているものもあるのだけれど、1964年は東京のその後の大きな大きな基点だったのだろうと思うので、1962年生まれの私は、その時代と人々が造ったものを丸ごと頂いて享受しながらスタートを切った世代。敗戦の衝撃も混乱も知らず、何の苦労もなく、当たり前の様に歩き始めた世代ですよね。
両親はその時代が青春真っ只中だった世代。辛うじて戦争から戦後の体験がある世代だけれども、この写真展の時代を生きた人が親であるということは、私にとって大きな意味と影響があって、それは(敗戦の余波を体験した両親にとっては)不幸中の(それをまだ両親から感じ取れる時代の位置にいた私にとっては)幸いなのだな感じてるんです。勿論、その時代を生きた人たちの生命力や強さを引き継げているとは思わないけれど、少なくとも全くの他人ごとでも、想像も出来ないほど遠くかけ離れた時代のことでもないと言う点で。あぁ、そう考えると、私の両親は立派に'日本の自画像 1945-1964'ではないですか。
その時代のことを時折話しで聞いたり、教科書の写真で見たり、インターネットで情報を見たりするより、こうやって無声のスライドショーの様に次から次へと当時の様子を見るというのはインパクトがあるんですね。インパクトと言っても、沁み込んで来る様なジワッとした静かなインパクトで、こちらの想像力をかき立てるものなんですが。写真の持つ強さなんでしょうか。言葉は変だけれども、当時の人たちの表情を見ることが出来て'嬉しい'と感じたり、生き生きとしたエネルギーを感じたり、じゃぁ、一体今という時代はどうなんだろう、今を写した写真にはどんな表情が表れるのだろうかと考えたり。
地味な企画だからなのか余りお客さんが入っていなかったのだけれど、その代わりに落ち着いて見れたのが幸い。写真自体はサイズがそうそう大きいものがある訳ではないので、大きな美術館では余りにもスペースが広過ぎて、壁に小さな写真を並べただけの様な感じが否めなかったのがちょっと残念。
企画のcrevisのHPによると、この後約2年間の予定で日本国内を巡回して、その後、欧米の美術館を巡回する予定とのこと。先に巡回して話題になった後なら多くの人が足を運んだのかも知れないですね。
世田谷美術館は、車が数珠繋ぎになる環八と東名の用賀IC角にある砧公園の一角。でも、こうやって歩いているとマイナスイオン(+たっぷり排気ガスも、笑)を浴びてのんびり。どこから行っても電車とバスを利用しないといけない様な、車以外はちょっと不便な場所なんですけれど、天気の良い日にはピクニックがてら美術館を覗くのもいいもの。思いのほか週末はお天気がもって気温も高く、そんな中で渋滞でいつ来るとも知れぬバスを待つのはさすがに暑かった。天気が良い日の外歩きは帽子が必要な季節となりましたね。
by sohla
| 2009-06-14 20:25
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