2009年 03月 07日
国宝 三井寺展
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「国宝 三井寺(みいでら)展」がいよいよ来週で終了なので、昨日仕事帰りに立ち寄ってみました。水~土曜日は20時まで開館(入館は30分前迄)していて、18:00以降は入館料が夜間割引にもなるなんて素晴しい。
17:40に仕事が終わって2Fの喫煙所で一服して、18:00過ぎに3Fに上ればそこはサントリー美術館。仕事後に立ち寄ることが出来るなんて、ミッドタウンに仕事場があって唯一ラッキーなことかも(笑)。
な~んて言っても、この美術館に行ったのは1年半ミッドタウンで仕事をしていて今回が初めて。毎回「面白そうな企画展だな~、見てみたいな~」とは思っていたけれど遂に足を運ばず。でも今回のこの垂れ幕やパンフレットにある「不動明王立像(黄不動尊)」の迫力ある姿には強力に惹かれてしまいまして。
そこそこ人気の展覧会の度にお客さんが多くてゆっくり落着いて見れない、人の頭越しに作品を見る、みたいな感じがストレスなので、どうせそうなら夜間割引でお安く気軽に見て、それでも2時間は見れるしね、なんてちょっとケチな考えで行ったのだけれど、普通に入館料を払って見ても充分見応えがあるな~と思いましたねぇ。人はそれなりに多かったですけれど。
ココにある会期の後半に展示された仏画「金色不動明王画像(黄不動尊)」(国宝)は印刷物への掲載すら許されない秘仏中の秘仏とのこと。天台寺門宗総本山・三井寺(園城寺)の開祖・智証大師円珍さまの入唐求法帰朝1150年を記念して開催されているこの展覧会は、そんな門外不出の秘仏、智証大師ゆかりの国宝、重文約60件を含むおよそ180件。三井寺に行っても拝観できないどころか、特別な修行を終えた僧侶にしか拝見が許されない秘仏が拝見出来るんですから、まさに秘仏開扉。
円珍が入唐中に授けられた「五部心観」とか、書写とは言え思わずガラスケースにオデコごっつんするほど顔を近づけて「良く描けてるなぁ・・・」ジッと見入ってしまったり、「何百年も前の像なのに結構彩色が残っているもんだな~、やっぱり公開されていないからなのかな~」と背中にまわって見たり手仕事の痕跡を探してみたり、「信仰のかたちとは迫力があるものよのぅ」と唸ったり、千年近くも前の人々の作業に感嘆したり。
この前、たままた日本の古写真をネットで見ていて、長崎大学付属図書館電子化コレクションの日下部金兵衛コレクションの中に何枚かの「三井寺から望む琵琶湖」という写真があって、「あぁ、これが明治の頃の三井寺なのね」と見ていたところ。関連写真を見ると、境内に手ぬぐいを被って子供の手を引く着物姿の女性とか写っていて、古写真って面白いんですよね。
3階と4階が展示会場になっているのだけれど、3階の狩野光信による国宝・勧学院の障壁画(重文)は、3分ごとに普通の美術館の照明と蝋燭の明かりに変わる仕掛け。数年前のプライスコレクション若冲展で作品を露出展示して、光に変化を加えて展示していてその変化に見とれたけれど、個人的には露出は無理でも、どうせなら薄暗くても蝋燭の明かりだけで見せる部屋があったらもっと印象に残ったかも。
アーネスト・フェノロサ - 私はこの名前を知らなかったのだけれど、展示の最後の方にこの方の愛用した天体望遠鏡や夫人の書簡などの展示が。あの大森貝塚発見のモース氏の後任で来日、建築家のコンドル氏などと同時期の明治11(1878)年~明治23(1890年)あたりに日本で活躍していたんですね。法隆寺をはじめ古社寺の多くの文化財を調査したことで知られ、この調査が後に古社寺保存法の制定へとなったとのこと。日本の文化・芸術をこよなく愛し、東京美術学校(現在の東京芸術大学)開校の為に奔走、岡倉天心の紹介で知り合った三井寺法明院の和尚に帰依、法名を授かり仏教に改宗、明治41(1908)にロンドンで急逝、享年55歳。遺体は遺言により三井寺法明院に葬られたそうです。法要の古い写真も展示されてます。さっき書いた古写真「三井寺から望む琵琶湖」も明治期なので、もしかしたら臨終に際して「三井寺に帰りたい」と言ったフェノロサ氏も同じ眺めを見ていたかも。そうか、この方も日本の美しさに心を奪われ、日本人以上にそれを大切に思ってくれたのね。
余録:フェノロサと不動尊
没後100年シンポ 「門外漢」がフェノロサ語る
う~ん、なかなか見応えがありました。このところ仏像ブームだったり、改修やら修理の間に展覧会に貸し出したりと、東京に居ながらそのお寺の秘仏や、全国に散らばる関連芸術も同時に見れるとはありがたいこと。
今月31日から東京国立博物館で始まる「興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」は、GWに日本に来る友達の米国人と一緒に見に行こうかと思ってるのです。この前「こんなのやってるよー」とURLを送って見せたら、「絶対行きたい!見たい!」と言っていたので。仏教関連、続きますね。
17:40に仕事が終わって2Fの喫煙所で一服して、18:00過ぎに3Fに上ればそこはサントリー美術館。仕事後に立ち寄ることが出来るなんて、ミッドタウンに仕事場があって唯一ラッキーなことかも(笑)。
な~んて言っても、この美術館に行ったのは1年半ミッドタウンで仕事をしていて今回が初めて。毎回「面白そうな企画展だな~、見てみたいな~」とは思っていたけれど遂に足を運ばず。でも今回のこの垂れ幕やパンフレットにある「不動明王立像(黄不動尊)」の迫力ある姿には強力に惹かれてしまいまして。
そこそこ人気の展覧会の度にお客さんが多くてゆっくり落着いて見れない、人の頭越しに作品を見る、みたいな感じがストレスなので、どうせそうなら夜間割引でお安く気軽に見て、それでも2時間は見れるしね、なんてちょっとケチな考えで行ったのだけれど、普通に入館料を払って見ても充分見応えがあるな~と思いましたねぇ。人はそれなりに多かったですけれど。
ココにある会期の後半に展示された仏画「金色不動明王画像(黄不動尊)」(国宝)は印刷物への掲載すら許されない秘仏中の秘仏とのこと。天台寺門宗総本山・三井寺(園城寺)の開祖・智証大師円珍さまの入唐求法帰朝1150年を記念して開催されているこの展覧会は、そんな門外不出の秘仏、智証大師ゆかりの国宝、重文約60件を含むおよそ180件。三井寺に行っても拝観できないどころか、特別な修行を終えた僧侶にしか拝見が許されない秘仏が拝見出来るんですから、まさに秘仏開扉。
円珍が入唐中に授けられた「五部心観」とか、書写とは言え思わずガラスケースにオデコごっつんするほど顔を近づけて「良く描けてるなぁ・・・」ジッと見入ってしまったり、「何百年も前の像なのに結構彩色が残っているもんだな~、やっぱり公開されていないからなのかな~」と背中にまわって見たり手仕事の痕跡を探してみたり、「信仰のかたちとは迫力があるものよのぅ」と唸ったり、千年近くも前の人々の作業に感嘆したり。
この前、たままた日本の古写真をネットで見ていて、長崎大学付属図書館電子化コレクションの日下部金兵衛コレクションの中に何枚かの「三井寺から望む琵琶湖」という写真があって、「あぁ、これが明治の頃の三井寺なのね」と見ていたところ。関連写真を見ると、境内に手ぬぐいを被って子供の手を引く着物姿の女性とか写っていて、古写真って面白いんですよね。
3階と4階が展示会場になっているのだけれど、3階の狩野光信による国宝・勧学院の障壁画(重文)は、3分ごとに普通の美術館の照明と蝋燭の明かりに変わる仕掛け。数年前のプライスコレクション若冲展で作品を露出展示して、光に変化を加えて展示していてその変化に見とれたけれど、個人的には露出は無理でも、どうせなら薄暗くても蝋燭の明かりだけで見せる部屋があったらもっと印象に残ったかも。
アーネスト・フェノロサ - 私はこの名前を知らなかったのだけれど、展示の最後の方にこの方の愛用した天体望遠鏡や夫人の書簡などの展示が。あの大森貝塚発見のモース氏の後任で来日、建築家のコンドル氏などと同時期の明治11(1878)年~明治23(1890年)あたりに日本で活躍していたんですね。法隆寺をはじめ古社寺の多くの文化財を調査したことで知られ、この調査が後に古社寺保存法の制定へとなったとのこと。日本の文化・芸術をこよなく愛し、東京美術学校(現在の東京芸術大学)開校の為に奔走、岡倉天心の紹介で知り合った三井寺法明院の和尚に帰依、法名を授かり仏教に改宗、明治41(1908)にロンドンで急逝、享年55歳。遺体は遺言により三井寺法明院に葬られたそうです。法要の古い写真も展示されてます。さっき書いた古写真「三井寺から望む琵琶湖」も明治期なので、もしかしたら臨終に際して「三井寺に帰りたい」と言ったフェノロサ氏も同じ眺めを見ていたかも。そうか、この方も日本の美しさに心を奪われ、日本人以上にそれを大切に思ってくれたのね。
余録:フェノロサと不動尊
没後100年シンポ 「門外漢」がフェノロサ語る
う~ん、なかなか見応えがありました。このところ仏像ブームだったり、改修やら修理の間に展覧会に貸し出したりと、東京に居ながらそのお寺の秘仏や、全国に散らばる関連芸術も同時に見れるとはありがたいこと。
今月31日から東京国立博物館で始まる「興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」は、GWに日本に来る友達の米国人と一緒に見に行こうかと思ってるのです。この前「こんなのやってるよー」とURLを送って見せたら、「絶対行きたい!見たい!」と言っていたので。仏教関連、続きますね。
by sohla
| 2009-03-07 15:48
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