2008年 09月 27日
ポルノ規制に抗議、バリ島で1000人がデモ
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ポルノ規制に抗議、バリ島で1000人がデモ先週こんなニュースがありましたね。肌を晒すのもダメ、伝統舞踊ダメ、半裸の絵画もダメ、川での水浴びもダメ、とにかく'官能的'なら芸術も宗教もダメ・・・なんてことになりかねない規正法はバリ・ヒンドゥ教の否定であり侮辱である、と抗議の為に(何故か)神に静かに祈る・・・なんてのなら有り得そうなんですけれど、バリ人とマイクを持って拳を上げてデモをする光景は何となく結びつかな~、どんな組織もしくは人たちが旗振りになってるんだろうな、なんて思いながら見てました。どうやら見たところバリ人以外の人も多そうだし、あら、日本人女性と思われる人もいるみたいですね。
[デンパサール(インドネシア) 23日 ロイター] インドネシアのバリ島で23日、ポルノ規制法に反対して約1000人がデモを行った。これを受けて地元の知事は、同法を取り下げるようユドヨノ大統領に要請すると約束した。
バリの伝統衣装に身を包んだデモ参加者らは「ポルノ規制法案に反対」などの横断幕を掲げて、デンパサールにある知事の事務所まで行進した。
同ポルノ規制法はイスラム教系の政党が支持しているが、国内のキリスト教徒やヒンズー教徒、伝統的にほとんど衣装を身にまとわない民族グループなどの一部から反対されている。
ま、それはいいのですけれど、イスラム原理主義勢力とか法案成立に躍起になっている人たちは野暮なこと考えますね。あ、それもあの方々の宗教観とか倫理観みたいなものなのだろうから野暮と言ってしまってはマズいか。じゃぁ偏狭、ダブル・スタンダード・・・あ、もっとダメ?バリの人たちを含めインドネシアの少数民族は、モラルが低下して規律が乱れているのはアンタ達(イスラム系)だろう?って言いたいところなのでは。一方で神の名のもとに暴力だのテロだの攻撃だのを正当化して、他を禁じたり責めたり、認めずに排斥しようとする人たちに、他方でやれ官能がどうの、モラルや規律がどうのなどと言われてもね。
まぁ、テロや暴力とポルノは次元が別かもしれないですけれど、そっちがそんなこと言い出すなら、こっちもこんなこと言わせてもらうよ、って気分にもなると思う、私なら。
こういう絵とか、
こういう絵が、モラルや規律の低下を憂うことに乗じて、ある1つの価値観でポルノとしてしまうような行き過ぎた規制はしないで欲しいもの。
国是であるパンチャシラ(建国5原則)の1番は「唯一神への信仰」。以前、ボロブドゥールと古代ジャワの仏教についてのレクチャーに参加した時、イスラム教がインドネシアに広がる以前、'唯一神'とは本来イスラムのアッラーでもなく(あり)、仏陀でもなく(あり)、キリスト教やヒンドゥの神でもなく(あり)、それらを結び付け根底に存在している普遍的な神性で、如来、仏陀、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神など全てを卓越した、そしてそれらを包括する不可視の普遍的真理だった。なので、古代ジャワ仏教を知るジャワ人やイスラム神秘主義ならこれを理解できるけれど、不可視(niskara:無相)を理解出来ない一般的なイスラム教はこの普遍的真理である'宗教の真理'を理解出来ない、とう説を聞いたことがあります。悲しいかな今の現状を見ると何だか納得なんですよね。
今でこそイスラム90%近くにのぼる国ですけれど、それ以前の長い長い歴史の中で古代の仏教やヒンドゥ教、その他の信仰が織り重なった上に存在して今があるのであって、アラブ辺りの根っからのイスラム国、イスラム教を国教としている国とは違うと思うんですけれどもね。
以前プレイボイーイ・インドネシア版の発刊騒ぎの時、ココで書いた知人の言葉・・・「おかしいと思わない?発刊したのもモスリム、買うのもモスリム、反対してるのもモスリム・・・みんなモスリムなんだよ。」って。うん、そりゃ傍から見たら滑稽かも。
by sohla
| 2008-09-27 10:06
| それもバリ、これもバリ
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