2006年 01月 25日
神様に仕えるお父さん
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その問題というのはお父さんの兄弟、友人から見れば叔父さんの同居が発端で(同居自体はそれ程問題ではないと思うのですが)、それに付随した或る事がバリ社会ではどちらかというと異例と言うかタブーと言うか、友人曰く「あってはならない恥」であるということなんです。なので詳細はここでは書く事は出来ないですが、確かにそれはバリの家族の在り方としてはちょっと違っているかも・・・と私も感じる問題でした。そんな複雑な思いを父親に対して持っていた彼ですが、お父さんが亡くなって家で亡骸を洗い清めたとき(湯灌の様なものでしょうか)何を想ったか・・・。
「毎日毎日田んぼで働いているだけ、日焼けしてただ汚いだけの父親だとずっと思っていたのに、亡くなって肌の色が白くなったら凄く男前だったんだよ。僕は今まで一体父親の何を見て来たのか。初めて本当の父親の姿を見た様な気がする」
恐らく亡くなってみないと気が付かなかった、見ようとしなかったことへの後悔と初めて感じた父親に対する誇りみたいなものなのではないでしょうか。
バリの人が亡くなった後に皆がそうするのかは判らないのですが、良い日を選んでバリアンの所へ家族で行き、父親が何か言い残したことはないか、生前に家族の知らない借りを誰かに作っていなかったか、今あの世でどうしているかを聞いたそうです。いつか時期が来たら火葬をして神様から借りた体を返すのですが、その前に故人が作った借りがあればそれを返すのも家族の大切な務めで、それをバリアンに聞くというのが何ともバリらしいですね。
もしかしたら田んぼで働いている時に、ちょっとタバコ代やお昼代などを今度払うからと近くのお店で借りているかも知れないと、お父さんが亡くなった後に一通り近くのお店に借りはないか聞きに回ったそうです。結局バリアンを媒介役にして亡くなったお父さんに聞いても借りは何もないと言っていたらしく、今は村のあるお寺に祀られている神様に仕えていて、その神様の刀を守る役目をしているから安心するようにと言っていたとの事でした。
良かったね。生きている時は決して楽な生活じゃなかったけど、今は神様のもとでクリスを守る仕事をしてるんなんて光栄ね。問題を抱えていても正直に生きて来たお父さんをちゃんと神様は見ていてくれたのね、きっと。一度だけ友人の家へ遊びに行った時にちらっと遠目にお父さんを見掛けて会釈をしただけなんですけれど、なんだか私も安心しました。
あぁ、あの小さくて痩せたお父さんは今は神様の隣にいるんだな、と思うと気持ちが穏やかになるんですよね。なので家族にとっては大きな誇りであり慰めであるんだろうなと思います。
by sohla
| 2006-01-25 18:54
| それもバリ、これもバリ
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