2006年 05月 25日
トラジャを見つめる頭蓋骨
|
きっと、ここぞ!というお葬式の時に引かれていくんでしょうね。
ここのトンコナンは結構な地位の方のお宅だそうで、確か博物館のようになっているとウディンさんが言っていた様な気がします。あ、でもこれは確かじゃないので間違っていたらスミマセン。
ウディンさんが「あそこ見えますか?ガイコツが見えますね」と、トンコナンの上の方を指差してます。「エェッ、ガイコツ?どこどこ」と一生懸命見るんですけれど、何しろトンコナンは巨大で、その上視力が余り良くない私では上の方となると良く見えません。何とな~くガラスの様なものが見えるんですが・・・。仕方なくデジカメのズームで見てみるとあるじゃないですかっ!
確かに柱を挟んでガラスケースに納められた頭蓋骨2つ。・・・ゲッ。
私はまた首狩り族時代にオランダ人とかの首を狩った戦利品なのかと思って、「いくら強さを示すって言ったって、頭蓋骨を飾って見せることはないでしょうに・・・趣味悪~」なんて思ったんですが話を聞くとそうではなくて、このトンコナンで亡くなった方(身分の高い方)自身の頭蓋骨とのことです。
私:「ねぇ、ねぇ、ドヨッさん(ドライバー)、
あそこの頭蓋骨見た?」
ドヨッ:「へっ?何?」
私:「あそこに頭蓋骨があるの、ほらっ」
- デジカメで写真を見せてあげる私 -
ドヨッ:「うわっ!」「トラジャで生まれて、ドライバーしてあちこち行くけど、ここに頭蓋骨が飾ら
れてるなんて知らなかった」
私:「えーっ、初めて見たんだ」
ウディン:「・・・トラジャの人でもトラジャの事を知らない人が沢山います」
そうか、それはいかんですよね。ウディンさんは生まれも育ちもトラジャではないし宗教も違うのだけれど、本当に良くトラジャの色々なことを知っているんですね。ガイドなので当然なんですけれど、単にガイドとして以上の知識があると私は思います。
最近はトラジャの若者もトラジャを離れてマカッサルなどに出てしまい、トラジャの伝統よりも都会の文化という風潮になって来ているとも聞きます。でも、どこかの時点で観光客の為ではなく、トラジャ人自身の為にちゃんと歴史や文化を検証するなり記録するなりしないと、どんどん昔の詳しい事が忘れられていくのではないかと、人ごとながらちょっと心配になりました。
やっぱり、アミニズムというこれと言って教科書の様なものが無い世界は、外部の研究者がどれくらいトラジャに興味があるか、どれだけ研究してくれるかが頼りで、当事者達は年長者から次の世代へと人づてに口で伝えていくのが運命なんでしょうか。私もまだ詳しく文献などを読んだ訳ではないのですが、ウディンさんが日本語で書かれたトラジャについての本もあると言っていたので、今度探して読んでみたいと思います。
ネット上でもトラジャの全体を総合的に解説したもの、それぞれの場所を足で歩いて詳しく記録したものって本当に少ない感じがします。私の様に旅行者が旅の記録として断片的にこれはどこのそこの写真と書いていたり、現地に縁のある方がある部分について詳しく書いていたりするものはチラホラと見かけるのですが、全体を網羅したもう少し深く書かれたものは余りありません。ボロブドゥールやバリの様に観光客が大挙して来ていないのと、行ってもツアーで数日間の滞在なのでそこまで深く知る機会がないというのが理由かもしれませんね。
しかしあの頭蓋骨。
ああやってこの後もずっとあそこからトラジャを見守っているのかと思うと、骨は抜け殻、象徴みたいなものかもしれないけれど、何だか魂は永遠なんだなぁって気がして来ます。あそこから何が見えるんでしょうね。
by sohla
| 2006-05-25 20:13
| それもバリ、これもバリ
|
Comments(0)