2006年 07月 30日
ケチャ祭り - 新宿三井ビル55ひろば
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7/28(金)の夜にガムランと踊り、昨日29(土)の昼にジェゴグを見て来ました。
もうこの催しは恒例で、山城組のHPを見ると1976年以来毎年、この三井ビル55ひろばで「ケチャまつり」が開催されているとのことです。ふぅ、30年続いているとは凄いです。
私が西新宿に住み始めた頃の夏、ビルの谷間からガムランの音が聞こえて来てビックリ。思わず吸い寄せられるように見に下りて行きました。あの頃、演奏していたのは日本人ではなくて、バリ人だったと記憶していたんですが、1976年以来山城組が上演しているということなので勘違いですね。
バリ風セットの前でガムラン、トロンポン、踊り・・・ビルの谷間の異空間、バリの雰囲気ですね。
でも、考えて見ると私自身は現地でバリ舞踊を観たのは数える程しかない様な気がします。ケチャは最初から見てみたかったので、当時ボナ村でしか上演されていなかったのを見に行きましたが、それ以外はお決まりのバロン・ダンスとレゴン・ダンスくらいでしょうか。
私が一番ドキドキ胸が高まる(笑)のは、儀礼に行く行列の中で移動しながらジャカジャカ派手に演奏されるバラガンジュール。あれが聞こえると、音のする方へ吸い寄せられてしまいます。それから次にドキドキするのは、どこからともなく風に乗って聞こえてくる太鼓や鉄琴の音。どうやらバリ芸能自体に興味があるわけではないような・・・。
ケチャは男達の無伴奏で「チャッチャッ」と言う肉声と、とにかく大勢の踊り手がいる迫力が好きで、私としてはバリ芸能=ケチャというイメージが強い踊りなんです。
さて、この「ケチャまつり」でケチャを見るのは初めてだったのですが、全員日本人のケチャ。本物に忠実で、凄く声も良く出ていて、肌の色の白さ(笑)も夜と照明のお陰でそれ程ボワッと白く浮き出てるでもなく、よく出来ているなぁと感心。踊り手の人数が少ないのが迫力に欠けるところはありますけれど、それは仕方ないですね。
が、実は始まって暫くして席を立って帰ってしまったんです、私(ゴメンなさい、山城組の方)。
何故かというと、最初に燭台のローソクに火を灯すところから本物に忠実なんですが、次に白い衣装を着た祭司役の人が、踊り手に聖水を掛けて儀礼を行うんです。もちろん日本人です。ケチャだけではなくて、踊りの前には大抵(必ず?)こうしたお祓いやお祈りをして上演されるのですが、何か私の心の中で違和感が大きくて、見ていられなくなってしまったというのが正直なところなんです。
なんででしょうね。踊り手や楽器の演奏が日本人でも、まぁ本物とは別ものの創作と思っていられるし、あの白い衣装を着けた祭司役だって、それと同じことなのに突如として違和感を感じて見ていられなくなってしまったというのは。別に祭司の真似ごとは如何なものか、とも思っていないはずなんですけれど・・・。上演前の祭司の儀礼も芸能の一部、私達が普通バリで見ることが出来るケチャだって観光客向けのものと思えば、その延長として日本人が再現しているものとして割り切って見ればいいのですが、そうはいかなかったんですよね。
何か私の中で、踊りや演奏は誰でも習得出来るものとしてOKだけれども、祭司は「役」じゃない、単に誰でもが習得してなるものじゃないという線引きみたいなものが、やっぱりあるのかなぁ。あの祭司役の登場で、その後の踊りが嘘っぽく(言葉が悪いですが)なってしまった気がしちゃったんです。元々が嘘というか再現なのは判り切っていることなのに、です。
私は演劇心が無いんでしょうね。ちょっと心が狭いなぁって思ってしまったんですけれど、どうにもならなかった・・・。
そして、こちらは翌日の日中に見たジェゴグ。最後列の一番太い竹で出来たジェゴグは重低音、竹で出来た楽器から出ている音色とは思えない迫力です。
以前はバリ島でもヌガラまで行かないと見れなかったジェゴグも、今ではあちこちで見れる様ですね。私が最初にジェゴグを知ったのは、遥か昔NHKで本場ヌガラのジェゴグの掛け合いをドキュメンタリーでやっていたのを観た時です。闇の中、自然と一体になって音が響く様子、2フループの掛け合いの迫力に感動したものです。魂に響くと言うんでしょうか。
それ以来、手軽にジェゴグが見れると判っていても、見るならばいつか本場ヌガラの夜、その空気の中で聞きたいと思っていて、まだ実現してないんです。もっとも、もしかしたらヌガラのジェゴグももう商業的なものなのかもしれないですけれど。
数年前に、スアール・アグンの公演を横浜の音楽ホールまで見に行ったことがあるのですが、余りにも近代的なステージに野性的なジェゴグを閉じ込めてしまった様で、CDの様に音だけを堪能するには良いけれども、臨場感や迫力は削ぎ取られてしまったなぁと思いました。
色々なものが手軽に見れる様になって贅沢なんですけれど、やっぱりその土地でこそ発揮する、音だけではないエネルギーみたいなものがあって、出来ることならそれを含めて五感で感じたいと思うんですよね。贅沢、我儘ですみません。
もうこの催しは恒例で、山城組のHPを見ると1976年以来毎年、この三井ビル55ひろばで「ケチャまつり」が開催されているとのことです。ふぅ、30年続いているとは凄いです。
私が西新宿に住み始めた頃の夏、ビルの谷間からガムランの音が聞こえて来てビックリ。思わず吸い寄せられるように見に下りて行きました。あの頃、演奏していたのは日本人ではなくて、バリ人だったと記憶していたんですが、1976年以来山城組が上演しているということなので勘違いですね。
バリ風セットの前でガムラン、トロンポン、踊り・・・ビルの谷間の異空間、バリの雰囲気ですね。
でも、考えて見ると私自身は現地でバリ舞踊を観たのは数える程しかない様な気がします。ケチャは最初から見てみたかったので、当時ボナ村でしか上演されていなかったのを見に行きましたが、それ以外はお決まりのバロン・ダンスとレゴン・ダンスくらいでしょうか。
私が一番ドキドキ胸が高まる(笑)のは、儀礼に行く行列の中で移動しながらジャカジャカ派手に演奏されるバラガンジュール。あれが聞こえると、音のする方へ吸い寄せられてしまいます。それから次にドキドキするのは、どこからともなく風に乗って聞こえてくる太鼓や鉄琴の音。どうやらバリ芸能自体に興味があるわけではないような・・・。
ケチャは男達の無伴奏で「チャッチャッ」と言う肉声と、とにかく大勢の踊り手がいる迫力が好きで、私としてはバリ芸能=ケチャというイメージが強い踊りなんです。
さて、この「ケチャまつり」でケチャを見るのは初めてだったのですが、全員日本人のケチャ。本物に忠実で、凄く声も良く出ていて、肌の色の白さ(笑)も夜と照明のお陰でそれ程ボワッと白く浮き出てるでもなく、よく出来ているなぁと感心。踊り手の人数が少ないのが迫力に欠けるところはありますけれど、それは仕方ないですね。
が、実は始まって暫くして席を立って帰ってしまったんです、私(ゴメンなさい、山城組の方)。
何故かというと、最初に燭台のローソクに火を灯すところから本物に忠実なんですが、次に白い衣装を着た祭司役の人が、踊り手に聖水を掛けて儀礼を行うんです。もちろん日本人です。ケチャだけではなくて、踊りの前には大抵(必ず?)こうしたお祓いやお祈りをして上演されるのですが、何か私の心の中で違和感が大きくて、見ていられなくなってしまったというのが正直なところなんです。
なんででしょうね。踊り手や楽器の演奏が日本人でも、まぁ本物とは別ものの創作と思っていられるし、あの白い衣装を着けた祭司役だって、それと同じことなのに突如として違和感を感じて見ていられなくなってしまったというのは。別に祭司の真似ごとは如何なものか、とも思っていないはずなんですけれど・・・。上演前の祭司の儀礼も芸能の一部、私達が普通バリで見ることが出来るケチャだって観光客向けのものと思えば、その延長として日本人が再現しているものとして割り切って見ればいいのですが、そうはいかなかったんですよね。
何か私の中で、踊りや演奏は誰でも習得出来るものとしてOKだけれども、祭司は「役」じゃない、単に誰でもが習得してなるものじゃないという線引きみたいなものが、やっぱりあるのかなぁ。あの祭司役の登場で、その後の踊りが嘘っぽく(言葉が悪いですが)なってしまった気がしちゃったんです。元々が嘘というか再現なのは判り切っていることなのに、です。
私は演劇心が無いんでしょうね。ちょっと心が狭いなぁって思ってしまったんですけれど、どうにもならなかった・・・。
そして、こちらは翌日の日中に見たジェゴグ。最後列の一番太い竹で出来たジェゴグは重低音、竹で出来た楽器から出ている音色とは思えない迫力です。
以前はバリ島でもヌガラまで行かないと見れなかったジェゴグも、今ではあちこちで見れる様ですね。私が最初にジェゴグを知ったのは、遥か昔NHKで本場ヌガラのジェゴグの掛け合いをドキュメンタリーでやっていたのを観た時です。闇の中、自然と一体になって音が響く様子、2フループの掛け合いの迫力に感動したものです。魂に響くと言うんでしょうか。
それ以来、手軽にジェゴグが見れると判っていても、見るならばいつか本場ヌガラの夜、その空気の中で聞きたいと思っていて、まだ実現してないんです。もっとも、もしかしたらヌガラのジェゴグももう商業的なものなのかもしれないですけれど。
数年前に、スアール・アグンの公演を横浜の音楽ホールまで見に行ったことがあるのですが、余りにも近代的なステージに野性的なジェゴグを閉じ込めてしまった様で、CDの様に音だけを堪能するには良いけれども、臨場感や迫力は削ぎ取られてしまったなぁと思いました。
色々なものが手軽に見れる様になって贅沢なんですけれど、やっぱりその土地でこそ発揮する、音だけではないエネルギーみたいなものがあって、出来ることならそれを含めて五感で感じたいと思うんですよね。贅沢、我儘ですみません。
by sohla
| 2006-07-30 14:17
| それもバリ、これもバリ
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