2008年 04月 05日
「イ・クトゥット・ブディアナ展」 - 世田谷美術館 区民ギャラリー
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世田谷美術館の区民ギャラリーでバリ絵画「イ・クトゥット・ブディアナ展」を明日までやってるよーと聞いて見に行ってきました。略歴によると、前回東京駅のステーションギャラリーで個展を開催したのが2003年。その時も見に行ったんですけれど、もうあれは5年も前だったんですね・・・時が経つのは早いなぁ。
と言うか最近、何年前のあんなこと、いつ頃のそんなことが時系列で思い出せないと言うか、過去は一括りで'過去'であって、その中のいつの時点かなんて細かなことはどーでも良くなってしまったと言うか、整理下手のフォルダみたいになってしまって困ったもんです。
絵を見る時、そもそも技術的なことや専門的なことは分らないので好きか嫌いかだけで眺めているんですけれど、そうですねぇ・・・チラシにある「母なる大地の力」(Kekuatan Ibu)の様に緻密に書き込んだものや、「大火災」(Kebakaran)の様に書き込んだという緻密さは無くても構図でスケールと奥行きがある様なものが好きかなぁ。そういう大作は数枚しかなかったのですけれど。
なので、私としては書き込んでいない線描きでのっぺりした絵やスケッチ風の絵は「う~ん・・・」という感じで、最近の絵も少ないな~と言う感想。何枚かあった2008年作のものはシュールレアリズムか?という感じで、いわゆるバリ絵画のイメージは余りないですし。
氏の作品はバリ島のあちこちの美術館に収蔵されている様で、そういった作品もかき集めて一堂に展示することが出来たらもっと迫力があるだろうになーと思ったんですが、それをするほどのバックアップや資金を得るのも大変なんでしょうね。まぁ、世田谷美術館といっても区民ギャラリーでの展示、それも見学無料なので仕方ないでしょうか。展示室もステーションギャラリーは確か煉瓦作りの壁に多少照明を落とした中での展示で雰囲気があったと記憶してるんですが、今回は何だかやけに煌々と明るく照らし出されてバリの闇も影も無く、これでは'もののけ'も居心地悪そう・・・かも。
バリの芸能や芸術が日本に来ると機会を作っては見に行くんですけれど、いつも何だか悲しいなと感じることが、綺麗で近代的な'箱'(施設などの環境)では魅力や迫力がこうも半減するものなのか、と。何と言うか表現するのが難しいんですけれど、作品が呼吸出来ていなさそうというか、窮屈そうというか、息苦しそうというか。作品が生まれた環境と、日本で目に触れる環境とのギャップゆえなのかもしれないですけれども。あ、それか私の想像力が足りないのかな。
でも、久し振りにバリ絵画をナマで見て行きたくなっちゃいました。
と言うか最近、何年前のあんなこと、いつ頃のそんなことが時系列で思い出せないと言うか、過去は一括りで'過去'であって、その中のいつの時点かなんて細かなことはどーでも良くなってしまったと言うか、整理下手のフォルダみたいになってしまって困ったもんです。
絵を見る時、そもそも技術的なことや専門的なことは分らないので好きか嫌いかだけで眺めているんですけれど、そうですねぇ・・・チラシにある「母なる大地の力」(Kekuatan Ibu)の様に緻密に書き込んだものや、「大火災」(Kebakaran)の様に書き込んだという緻密さは無くても構図でスケールと奥行きがある様なものが好きかなぁ。そういう大作は数枚しかなかったのですけれど。
なので、私としては書き込んでいない線描きでのっぺりした絵やスケッチ風の絵は「う~ん・・・」という感じで、最近の絵も少ないな~と言う感想。何枚かあった2008年作のものはシュールレアリズムか?という感じで、いわゆるバリ絵画のイメージは余りないですし。
氏の作品はバリ島のあちこちの美術館に収蔵されている様で、そういった作品もかき集めて一堂に展示することが出来たらもっと迫力があるだろうになーと思ったんですが、それをするほどのバックアップや資金を得るのも大変なんでしょうね。まぁ、世田谷美術館といっても区民ギャラリーでの展示、それも見学無料なので仕方ないでしょうか。展示室もステーションギャラリーは確か煉瓦作りの壁に多少照明を落とした中での展示で雰囲気があったと記憶してるんですが、今回は何だかやけに煌々と明るく照らし出されてバリの闇も影も無く、これでは'もののけ'も居心地悪そう・・・かも。
'チョット昔、わが国にではモノには命があり、里山や鎮守の杜には精霊や神々、モノノケが棲むと信じられてきた。友、ブディアナはモノノケと話し、描ける人である。はじめて出会った時、ワシと墨・硯を渡した。闇の深さを描くのに最適な素材だからである。この国は神仏分離の詔以後、精霊や神々、モノノケが棲む世界を失ってしまった。ブディアナ氏が和紙に描く「闇に棲むモノノケ」を失って久しい国に住む人々に見て欲しい。'う~む。モノノケが棲む世界を失ってしまったといよりも、私達が目に見えないものを見る・感じる・想像する力を失ってしまったのでしょうね。Sekara(目に見えるもの)とNiskala(目に見えないもの)の両方に敬意を払うバリの、あの空気、闇、影、湿度、妖艶さを隅から隅まで煌々と明るく照らし出してしまうのは、正にその表れなのではないかと思ったり。
バリの芸能や芸術が日本に来ると機会を作っては見に行くんですけれど、いつも何だか悲しいなと感じることが、綺麗で近代的な'箱'(施設などの環境)では魅力や迫力がこうも半減するものなのか、と。何と言うか表現するのが難しいんですけれど、作品が呼吸出来ていなさそうというか、窮屈そうというか、息苦しそうというか。作品が生まれた環境と、日本で目に触れる環境とのギャップゆえなのかもしれないですけれども。あ、それか私の想像力が足りないのかな。
でも、久し振りにバリ絵画をナマで見て行きたくなっちゃいました。
by sohla
| 2008-04-05 21:23
| みる・きく・かんがえる
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