2008年 03月 23日
潮入りの池 浜離宮庭園 ①
|
東京都の都立公園・庭園案内によると、平成16年から継続的に復元・整備に取り組んでいるとのことで、現在は潮入りの池護岸改修中。
土のうを積んで中の水を抜いて作業しているということなので、現在は水門を閉めて海水の出入りを調整していないからなのか、池の水は澱んで藻の様なものが多い印象です。改修中の地点は、池に浸かって作業する人達や土のう、クレーン車や仮設の物置みたいなものなどが目についてしまうので景観的にはちょっとなんですが、文化財の保護や復元、整備なので仕方ないですね。博物館の中の書物や美術品と違って、刻々と変ってしまう景観や自然をなるべく数百年前の昔のままに、と常に手入れをしなければならないんですから大変ですよね。
見事なコンラッドの雄姿・・・違う違う(笑)。
潮入の池の岸と中島を結ぶ「お伝い橋」と、中島の「中島の御茶屋」。茶屋は庭園の中心的建物で昔は海の彼方に房総を望めたそう。今は望むも何もビルばっかりですが。「お伝い橋」の英語表記が'Otsutaibashi Bridge'・・・お伝い橋橋?とはこれ如何に。
小高い「富士見山」からの景色はこんな感じ。かつては房総の山々や海に白帆、筑波山も見えたそうで、今は高層ビルやマンション、何とか水産倉庫みたいなのに囲まれてしまってますけれど、昔ここから開けていた景色は、のどかで海の果てまで望める様なものだったのでしょうね。
しかし、この庭園は広いーっ。
東京ドームの5.4倍だそうで、すっごく歩きます。昔の人は着物に草履でそぞろ歩き、池を船で渡り、茶屋で休んでは景観を楽しみ、優雅に時を過ごしていたんでしょうが、現代の私は地図と説明書を見ながらスタコラサッサと半ば早足状態で早周り。当時のお殿様たちが見ていたら、'せわしないのぉー'とか'風情がないのー'とか'庭園を愛でる嗜みが無いのー'と言われたでしょうね(笑)。あ、その前にお殿様たちは高層ビルの高さや密集振りに腰を抜かすと思いますけれど。
東京湾の水位の上下に従って開閉し、池の水の出入りを調節する「水門」と、護岸に作られた階段は将軍が乗降した船の「お上り段」。鳥羽伏見の戦いで敗れた前将軍慶喜が、大阪から海路ここ浜御殿の「お上り段」から上陸、江戸城へ帰城したということもあったとのこと。う~ん、本当に昔のお殿様もこの石段から上陸したのか~。その何百年後に同じものを同じ場所で'そうなのかー'と見てる私も何だか不思議。
こちらは「300年の松」。六代将軍家宣が庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松だそうで、太い枝が低く張り出して圧巻です。300年ずーっとここにデンと構えているんですよね。300年・・・凄いなぁ。こういうのを見ると、300年の同じ延長線上のある点に今の自分が本当にいるんだなぁ、と何だか感慨深い感じがしますね。丁度、何人かで剪定作業をしていたんですが、過去300年、今後もずっと手入れをして行くんですから、この木1本の世話だけでも大変ですね。
汐留川から内堀へ引き込む水門。御殿や江戸城への荷揚げ場である内堀に、ここから船が出入りをしたんでしょうね。現在、外側の汐留川には沢山のヨットが係留されているんですが、古い石積みや木の水門を隔ててあちら側とこちら側とでは違う時代みたいに見えます。
水上バス乗り場に水上バスが入って着ました。思ったより大型(長い)んですね。浅草-浜離宮-日の出桟橋と隅田川を楽しむ40分の船旅。両国-浜離宮-お台場ってのもあるんですね。前から1度この水上バスに乗ってみたかったので、浅草まで行ってみようかな~と随分と悩んだ挙句、時間がなかったので残念ながら
断念。
今度、1日たっぷり時間がある時に、是非乗ってみたいですね。私的にはもう少し風が暖かくなってきた時期の方がいいかもです。
さて、浜離宮の見どころと言えば、庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つの「鴨場」。築造は、前者が1778年、後者が1791年という古いもの。鴨猟にも鴨料理にも縁が無い私は、鴨場と言えば皇室くらいしかイメージ出来ないんですけれど、鴨場ってこういうもので、こういう仕掛けなのね、なるほど~って思いましたよ。では、鴨場あたりの様子はまた次回に・・・。
土のうを積んで中の水を抜いて作業しているということなので、現在は水門を閉めて海水の出入りを調整していないからなのか、池の水は澱んで藻の様なものが多い印象です。改修中の地点は、池に浸かって作業する人達や土のう、クレーン車や仮設の物置みたいなものなどが目についてしまうので景観的にはちょっとなんですが、文化財の保護や復元、整備なので仕方ないですね。博物館の中の書物や美術品と違って、刻々と変ってしまう景観や自然をなるべく数百年前の昔のままに、と常に手入れをしなければならないんですから大変ですよね。
潮入の池の岸と中島を結ぶ「お伝い橋」と、中島の「中島の御茶屋」。茶屋は庭園の中心的建物で昔は海の彼方に房総を望めたそう。今は望むも何もビルばっかりですが。「お伝い橋」の英語表記が'Otsutaibashi Bridge'・・・お伝い橋橋?とはこれ如何に。
小高い「富士見山」からの景色はこんな感じ。かつては房総の山々や海に白帆、筑波山も見えたそうで、今は高層ビルやマンション、何とか水産倉庫みたいなのに囲まれてしまってますけれど、昔ここから開けていた景色は、のどかで海の果てまで望める様なものだったのでしょうね。
しかし、この庭園は広いーっ。
東京ドームの5.4倍だそうで、すっごく歩きます。昔の人は着物に草履でそぞろ歩き、池を船で渡り、茶屋で休んでは景観を楽しみ、優雅に時を過ごしていたんでしょうが、現代の私は地図と説明書を見ながらスタコラサッサと半ば早足状態で早周り。当時のお殿様たちが見ていたら、'せわしないのぉー'とか'風情がないのー'とか'庭園を愛でる嗜みが無いのー'と言われたでしょうね(笑)。あ、その前にお殿様たちは高層ビルの高さや密集振りに腰を抜かすと思いますけれど。
汐留川から内堀へ引き込む水門。御殿や江戸城への荷揚げ場である内堀に、ここから船が出入りをしたんでしょうね。現在、外側の汐留川には沢山のヨットが係留されているんですが、古い石積みや木の水門を隔ててあちら側とこちら側とでは違う時代みたいに見えます。
水上バス乗り場に水上バスが入って着ました。思ったより大型(長い)んですね。浅草-浜離宮-日の出桟橋と隅田川を楽しむ40分の船旅。両国-浜離宮-お台場ってのもあるんですね。前から1度この水上バスに乗ってみたかったので、浅草まで行ってみようかな~と随分と悩んだ挙句、時間がなかったので残念ながら
断念。
今度、1日たっぷり時間がある時に、是非乗ってみたいですね。私的にはもう少し風が暖かくなってきた時期の方がいいかもです。
さて、浜離宮の見どころと言えば、庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つの「鴨場」。築造は、前者が1778年、後者が1791年という古いもの。鴨猟にも鴨料理にも縁が無い私は、鴨場と言えば皇室くらいしかイメージ出来ないんですけれど、鴨場ってこういうもので、こういう仕掛けなのね、なるほど~って思いましたよ。では、鴨場あたりの様子はまた次回に・・・。
by sohla
| 2008-03-23 09:38
| みる・きく・かんがえる
|
Comments(0)