2007年 09月 26日
このところの世の中のことなど
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安倍前首相が辞任を表明して福田内閣が発足するまで、どこを切っても金太郎飴の様に国のことなんかそっちのけで欲をかいた醜い顔と醜い画策ばかりが目に付く日々。もちろん、メディアの相変わらずさは言うに及ばず。
別に自民党支持者でもなし、政治家の画策なんて今始まったことでもなし、政治に何を期待していた訳でもないけれど、一連の安倍個人攻撃からここに至るまで政治もメディアも国民も、日本という国は醜くなったものだなぁ、とつくづく思っていたところ、「一連の過程と福田内閣が発足したその後を考えると、真剣に日本という国に見切りをつけて他所へ移り住むことを真剣に考え始めた」という様なコメントに幾つかのサイトで遭遇。
安倍前首相の辞意が報道された時、日本人として日本に住み続けることに特に拘らないけれど、それでもやっぱり日本人として誇りがあって日本が大好きで留まって来た人の中には、今回をきっかけに日本に見切りをつけて離れて行く人もいるかもしれないな、なんて真っ先に思ったので、あ~そう考える人がやっぱりいたんだな、って思いましたよね。
まぁ、逃げでしかなくて日本人を辞めることなんて出来ないんですけれども、私の場合は元々居住や求職も日本に限って考えている訳ではなかったので、何を隠そう私も日本を離れるという選択肢は一瞬頭をよぎりました。そんな考えを持つ自分自身が不思議でもあったりしたのですけれども。見たくないもの聞きたくないものから逃れる為にその場を去るのは拒否反応の様なものなので、そこまで考える人は余りいないとしても、それでも何やってるんだよオマエらはと、もううんざりしたって言う人は多いんじゃないでしょうか。
日本を離れるか~と頭をよぎったにも関らず、一方では23日の麻生さんの新宿東口の演説や、24日の自民党本部への有志の集合は、行こうかなと思っていたりしたんです(笑)。23日は予定と重なって、24日はそんな呼びかけにオバはんが行ったところでどうするか?みたいな気後れがあって結局は足を運ばなかった軟弱者なんですけれど。
別に麻生さんのファンでもないし、あの熱狂の場に自分が居合わせたいみたいなお祭り騒ぎ的な気持ちも無かったですけれど、あの時あの場所に何の繋がりもない人達が個々に足を運んだ想いはTVなどによると、どうも「アキバ系」とか「オタク」の麻生ファンに過ぎないから、みたいなことで片付けていたということですね。そう言う見方しか出来ないからメディアは盲目なんだなと思うんですよね。そこにあるものの実態を直視したくないが為に「オタク」と蔑んで済ませば気が楽、自分の方がまだコイツらより物事を知っているという気分でいれる、みたいな心理なんじゃないでしょうか。
まぁ、そう思わせておけばいいんじゃないかって思います。で、偉そうに物事を知った気になっていたつもりが気が付いた時には「そんな訳ないだろ、そんなハズじゃないだろ」と、一番馬鹿だったと慌てることになればいいのではないかと。
神風特攻隊と比べるのは余りにも重みが違い過ぎて大げさかも知れないですけれど、ちょっとこの一文を思い出しました。ネットでは有名な「真実はどこに」の一文。"九分九厘成功の見込みはない、では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう"。
何だか良く分らないけれど熱いぜー、と一過性の熱気に酔うファンって人も勿論いたかもしれないですけれど、これから後の何年、何十年後の日本を考えた時、絶対勝ち目のない結果が判っている戦いをそのまま傍観して許してしまってはいけない、という想いであの場に足を運んだ人もいるんじゃないだろうかと。時代も状況も重みも全然違うので、そりゃ違うでしょー、そんな崇高なもんじゃないでしょー、美化すんなよ、と言われるかも知れないですけれども。勝敗なんて分ってる、でもいつか芽を出す負けにしようじゃないか、という想いの人もいたのではないかな。
【首相交代】(上)新YKK“謀議”で「反麻生」
【首相交代】(中)謀略否定した首相の「真意」
【首相交代】(下)麻生氏固辞 挙党の思惑はずれ
もう1つ、このところ気になっていたニュースがビルマでの僧侶らによる大規模デモ。
ちょっと表現が相応しくないかもしれないんですけれど、何と整然として威厳のあるデモなんだろうかと。主役が僧侶だからなんでしょうか。デモが始まった当初の雨の中、行進する僧侶達のふくらはぎまである洪水の中を、まるで普通に何事もない様に整然と歩いて行く写真を見て、なんと力強い行進なんだろうと胸を打つものがありましたね。
スーチ女史が民主化のシンボルの様になっていることの是非や政治的なことは別として、行進する僧侶の脇を市民が手を繫いで護りながら一緒に歩いて行く姿を見ていると、尊敬と信頼を持って僧侶を支持する市民と、一糸乱れず強い信念で行動する僧侶達と、その関係がちょっと羨ましいと思ったり。勿論、日本とは比べものにならない程の困難な国の状況だと思うんですが。
いくら5人以上の集会が禁止(でしたっけ?)とは言え、軍事政権もさすがにこれだけ整然と祈りを唱えて行進する僧侶や市民に対して武力行使をするわけにはいかないだろうし、僧侶だって一発触発の事態になればそう整然とはしていられないのではと思っていましたけど、僧侶達に水や食料を差し出して支援していた著名人などか逮捕され始めたというニュースの後、残念ながら治安部隊は武力制圧に乗り出し、その衝突で僧侶に死者が出てしまったようですね。軍事政権側は何てことをするんでしょう。悲しい、本当に悲しいこと。
反軍政デモへの武力行使に国際社会は批判を強めるでしょうけれど、BBCのニュースでは同盟国でもある隣国ミャンマーに対しあからさまな圧力をかけることに拒絶を示している中国の状況をBeijing's Burma dilemmaとして記事を書いていて、オイオイ、ここでもまた中国の思惑かいと思ってしまいます。思惑は中国だけじゃないでしょうけれど。
他所の国のことを嘆いている状況ではないですけれど、国内も海外も暗澹たる気持ちになってしまうニュースがあって、何とも落着かないというか鬱々とした気持ちになってしまう今日この頃。何だか嫌ですね。なんて言っているだけではどうにもならないのですけれど・・・。
インターネットが世界に伝えるミャンマーのデモ
別に自民党支持者でもなし、政治家の画策なんて今始まったことでもなし、政治に何を期待していた訳でもないけれど、一連の安倍個人攻撃からここに至るまで政治もメディアも国民も、日本という国は醜くなったものだなぁ、とつくづく思っていたところ、「一連の過程と福田内閣が発足したその後を考えると、真剣に日本という国に見切りをつけて他所へ移り住むことを真剣に考え始めた」という様なコメントに幾つかのサイトで遭遇。
安倍前首相の辞意が報道された時、日本人として日本に住み続けることに特に拘らないけれど、それでもやっぱり日本人として誇りがあって日本が大好きで留まって来た人の中には、今回をきっかけに日本に見切りをつけて離れて行く人もいるかもしれないな、なんて真っ先に思ったので、あ~そう考える人がやっぱりいたんだな、って思いましたよね。
まぁ、逃げでしかなくて日本人を辞めることなんて出来ないんですけれども、私の場合は元々居住や求職も日本に限って考えている訳ではなかったので、何を隠そう私も日本を離れるという選択肢は一瞬頭をよぎりました。そんな考えを持つ自分自身が不思議でもあったりしたのですけれども。見たくないもの聞きたくないものから逃れる為にその場を去るのは拒否反応の様なものなので、そこまで考える人は余りいないとしても、それでも何やってるんだよオマエらはと、もううんざりしたって言う人は多いんじゃないでしょうか。
日本を離れるか~と頭をよぎったにも関らず、一方では23日の麻生さんの新宿東口の演説や、24日の自民党本部への有志の集合は、行こうかなと思っていたりしたんです(笑)。23日は予定と重なって、24日はそんな呼びかけにオバはんが行ったところでどうするか?みたいな気後れがあって結局は足を運ばなかった軟弱者なんですけれど。
まぁ、そう思わせておけばいいんじゃないかって思います。で、偉そうに物事を知った気になっていたつもりが気が付いた時には「そんな訳ないだろ、そんなハズじゃないだろ」と、一番馬鹿だったと慌てることになればいいのではないかと。
神風特攻隊と比べるのは余りにも重みが違い過ぎて大げさかも知れないですけれど、ちょっとこの一文を思い出しました。ネットでは有名な「真実はどこに」の一文。"九分九厘成功の見込みはない、では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう"。
何だか良く分らないけれど熱いぜー、と一過性の熱気に酔うファンって人も勿論いたかもしれないですけれど、これから後の何年、何十年後の日本を考えた時、絶対勝ち目のない結果が判っている戦いをそのまま傍観して許してしまってはいけない、という想いであの場に足を運んだ人もいるんじゃないだろうかと。時代も状況も重みも全然違うので、そりゃ違うでしょー、そんな崇高なもんじゃないでしょー、美化すんなよ、と言われるかも知れないですけれども。勝敗なんて分ってる、でもいつか芽を出す負けにしようじゃないか、という想いの人もいたのではないかな。
【首相交代】(上)新YKK“謀議”で「反麻生」
【首相交代】(中)謀略否定した首相の「真意」
【首相交代】(下)麻生氏固辞 挙党の思惑はずれ
もう1つ、このところ気になっていたニュースがビルマでの僧侶らによる大規模デモ。
ちょっと表現が相応しくないかもしれないんですけれど、何と整然として威厳のあるデモなんだろうかと。主役が僧侶だからなんでしょうか。デモが始まった当初の雨の中、行進する僧侶達のふくらはぎまである洪水の中を、まるで普通に何事もない様に整然と歩いて行く写真を見て、なんと力強い行進なんだろうと胸を打つものがありましたね。
スーチ女史が民主化のシンボルの様になっていることの是非や政治的なことは別として、行進する僧侶の脇を市民が手を繫いで護りながら一緒に歩いて行く姿を見ていると、尊敬と信頼を持って僧侶を支持する市民と、一糸乱れず強い信念で行動する僧侶達と、その関係がちょっと羨ましいと思ったり。勿論、日本とは比べものにならない程の困難な国の状況だと思うんですが。
いくら5人以上の集会が禁止(でしたっけ?)とは言え、軍事政権もさすがにこれだけ整然と祈りを唱えて行進する僧侶や市民に対して武力行使をするわけにはいかないだろうし、僧侶だって一発触発の事態になればそう整然とはしていられないのではと思っていましたけど、僧侶達に水や食料を差し出して支援していた著名人などか逮捕され始めたというニュースの後、残念ながら治安部隊は武力制圧に乗り出し、その衝突で僧侶に死者が出てしまったようですね。軍事政権側は何てことをするんでしょう。悲しい、本当に悲しいこと。
反軍政デモへの武力行使に国際社会は批判を強めるでしょうけれど、BBCのニュースでは同盟国でもある隣国ミャンマーに対しあからさまな圧力をかけることに拒絶を示している中国の状況をBeijing's Burma dilemmaとして記事を書いていて、オイオイ、ここでもまた中国の思惑かいと思ってしまいます。思惑は中国だけじゃないでしょうけれど。
他所の国のことを嘆いている状況ではないですけれど、国内も海外も暗澹たる気持ちになってしまうニュースがあって、何とも落着かないというか鬱々とした気持ちになってしまう今日この頃。何だか嫌ですね。なんて言っているだけではどうにもならないのですけれど・・・。
インターネットが世界に伝えるミャンマーのデモ
by sohla
| 2007-09-26 23:53
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