2007年 08月 16日
8月15日
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この猛暑の中、午後になったら参道を歩くのも、参拝の列に並ぶのも大変と思って家を出たんですけれど、靖国神社に着いたのは結局9時過ぎ頃。さすが早い方は早いですね、続々と拝殿目指して人が流れて行きます。(おっと、去年は7時に到着してた模様)
写真では余り混んでいないんですけれど、実は拝殿前でお参りするのは1、2列待てば直ぐに参拝出来る程度の人だったんですが、能楽堂や参集殿あたりの桜の木々の木陰には人が一杯。
冷たい麦茶が無料で配られていたので、ありがたく頂いて既に一服。いや~とにかく暑い。やはりお年寄りの方も多いので、あの木陰のない参道を歩いて行くだけでも苦労ですよね。私なんかは早く辿り着こうと、取り合えず大手水舎まで脇目もふらずにスタスタと歩いて行きましたけれど、ちゃんと要所要所で立ち止まって本殿に向かって深く頭を下げている方を見ると、「何だか私のお参りはインスタントだなぁ・・・」と、ちょっと恥ずかしく思ったり。
ちょうど、10時から能楽堂の前で「日本の声—英霊に感謝する集い」による放鳩式。いつもは違う時間に着ていたんですね、この放鳩式に居合わせるのは初めてでした。と言っても私は鳩を放ったわけではないですけれど・・・。籠にスシ詰め状態の白鳩・・・ちょっと可哀相。100羽程の鳩をそれぞれ持ち、宮司さまの「ありがとう」という声で一斉に放つんですけれど、1羽、2羽とパタパタと・・・いるんですよね、手を離しちゃう人が(笑)。その度に「あぁ~」という声が。
四の五の言わずに一言「ありがとう」・・・それだけ。政府主催の全国戦没者追悼式が執り行われているのは目と鼻の先の日本武道館。どうして、純粋にその一言に手を合わせに立ち寄る事さえ出来ないのか、あれこれと問題にされるおかしさ。その上今年は高市氏以外の閣僚は揃いも揃って参拝なし。参拝の是非より、協定みたいな素晴しく揃った足並み自体が、個人の自由どころか思惑ドロドロの証ですね。
毎年毎年沢山の人達が、色々な思いで足を運んで手を合わせて祈る。特別だけれどもただそれだけの場所に何故ならないんでしょうかね。
あぁ、とにかく暑い暑い・・・。
あ、でも九段下駅から靖国神社のそこここで警戒をしていたお巡りさんや機動隊の方々は、あの格好で炎天下だから本当に大変。こんな私でも一応参拝なので、暑いからと言ってタンクトップに短パンで肌を露出して行く場所じゃぁないわよね、儀式は我慢我慢と、一応脚は隠し、肩も覆って行きましたけれど、それでも男性のスーツよりはかなり軽装。でも汗が吹き出る吹き出る。
何かと煩わしい雑音が絶えない中でも、こうやって世代も体験も思いも違う人たちが粛々と足を運ぶ様子を見ていると、なかなか頼もしいもの。あそこに戦争賛美とか右翼化の空気を見出したい人もいるようですけれど、浅い想像力の中で都合良く思考を飛躍させることが出来る技なんでしょうか、そんな欠片が落ちているのは見たことないんですけれど。
前回ここへ来たのは今年3月の桜の季節。生前、(海軍だった)父は1人で参拝に来ていたらしいのですが、どんな思いでお参りしていたのかな、もし生きていたら今のこの騒ぎや、大勢の参拝客を見て何と言うかな、と思いながらまた私もここへ来ました。
写真では余り混んでいないんですけれど、実は拝殿前でお参りするのは1、2列待てば直ぐに参拝出来る程度の人だったんですが、能楽堂や参集殿あたりの桜の木々の木陰には人が一杯。
冷たい麦茶が無料で配られていたので、ありがたく頂いて既に一服。いや~とにかく暑い。やはりお年寄りの方も多いので、あの木陰のない参道を歩いて行くだけでも苦労ですよね。私なんかは早く辿り着こうと、取り合えず大手水舎まで脇目もふらずにスタスタと歩いて行きましたけれど、ちゃんと要所要所で立ち止まって本殿に向かって深く頭を下げている方を見ると、「何だか私のお参りはインスタントだなぁ・・・」と、ちょっと恥ずかしく思ったり。
毎年毎年沢山の人達が、色々な思いで足を運んで手を合わせて祈る。特別だけれどもただそれだけの場所に何故ならないんでしょうかね。
あぁ、とにかく暑い暑い・・・。
あ、でも九段下駅から靖国神社のそこここで警戒をしていたお巡りさんや機動隊の方々は、あの格好で炎天下だから本当に大変。こんな私でも一応参拝なので、暑いからと言ってタンクトップに短パンで肌を露出して行く場所じゃぁないわよね、儀式は我慢我慢と、一応脚は隠し、肩も覆って行きましたけれど、それでも男性のスーツよりはかなり軽装。でも汗が吹き出る吹き出る。
何かと煩わしい雑音が絶えない中でも、こうやって世代も体験も思いも違う人たちが粛々と足を運ぶ様子を見ていると、なかなか頼もしいもの。あそこに戦争賛美とか右翼化の空気を見出したい人もいるようですけれど、浅い想像力の中で都合良く思考を飛躍させることが出来る技なんでしょうか、そんな欠片が落ちているのは見たことないんですけれど。
前回ここへ来たのは今年3月の桜の季節。生前、(海軍だった)父は1人で参拝に来ていたらしいのですが、どんな思いでお参りしていたのかな、もし生きていたら今のこの騒ぎや、大勢の参拝客を見て何と言うかな、と思いながらまた私もここへ来ました。
by sohla
| 2007-08-16 00:11
| みる・きく・かんがえる
|
Comments(2)
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by
kawazukiyoshi at 2007-08-16 15:45
偶然このブログに立ち寄らせていただきました。
私はいろんな意見があっていいと思っています。
右翼もいるでしょうし左翼もいるでしょうね。
人を人として受け入れることが出来る人とならいくらでも話は出来ると
思っています。
私はたぶん靖国神社にはずっと参らないと思います。
私の義理の兄は祭られていることでしょうが。
靖国神社を政治の道具にする人がいる限り
私はその考えを変えることはないと思っています。
混乱した世界の中で、何か大事なことを進めていくことが
今求められていることでしょう。
それは、お互いを信じあうことではないかと思っています。
突然来て、こんなことを書いてびっくりされたかもしれませんね。
そのときはお許しください。
今日もスマイル
私はいろんな意見があっていいと思っています。
右翼もいるでしょうし左翼もいるでしょうね。
人を人として受け入れることが出来る人とならいくらでも話は出来ると
思っています。
私はたぶん靖国神社にはずっと参らないと思います。
私の義理の兄は祭られていることでしょうが。
靖国神社を政治の道具にする人がいる限り
私はその考えを変えることはないと思っています。
混乱した世界の中で、何か大事なことを進めていくことが
今求められていることでしょう。
それは、お互いを信じあうことではないかと思っています。
突然来て、こんなことを書いてびっくりされたかもしれませんね。
そのときはお許しください。
今日もスマイル
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by
sohla at 2007-08-16 17:36
> kawazukiyoshiさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。靖国と言えども、色々な思いを持って参
る人、参らない人、どちらでも良い人、様々であっていいと思います。そ
れこそ様々でない方が恐ろしいですから。
靖国神社を政治の道具にする人たち・・・さて、現状は政治の道具にす
らなっていないのではないかと感じるのは何故でしょうね。言い分が違
うから解り合えない、信じ合えないということはありません。ただ、こ
れは自分も相手も生かす妥協点を見出す大人の術がないと、なかな
か成立しないかもしれないですね。話しが逸れてしまって、これは天皇
や靖国や戦争の問題には当てはまらないのかもしれませんが。
コメントありがとうございます。靖国と言えども、色々な思いを持って参
る人、参らない人、どちらでも良い人、様々であっていいと思います。そ
れこそ様々でない方が恐ろしいですから。
靖国神社を政治の道具にする人たち・・・さて、現状は政治の道具にす
らなっていないのではないかと感じるのは何故でしょうね。言い分が違
うから解り合えない、信じ合えないということはありません。ただ、こ
れは自分も相手も生かす妥協点を見出す大人の術がないと、なかな
か成立しないかもしれないですね。話しが逸れてしまって、これは天皇
や靖国や戦争の問題には当てはまらないのかもしれませんが。