2007年 07月 02日
手を合わせる猿 - 小野照崎神社の庚申塚
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"庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習" - Wikipedia
夜通し宴会・・・何だか楽しそうですよねぇ(笑)。
「見ざる・聞かざる・言わざる」や八咫烏が彫られた石碑やら、金剛像の石像やら、が所狭しと並んでいて、神様も仏様も仲良く同居。それぞれとても古そうで、欠けたり磨り減ったり良い具合に古びていて、ここにも富士山の溶岩が転がってます。そして塚の外側には無造作に(笑)力石がいくつも置かれたり転がってたり。
"富士(山)信仰の神社、浅間神社の神使は猿。申(さる)の日に富士山が現れたとの故事に由来するなどとされたり、また、単に「山岳そのものをご神体とする神の使いにふさわしい」から(山王の猿として)猿が神使とされたとの説もある。富士講が盛んになる過程で、江戸時代中期にはすでに庶民の間で身近に信仰されていた山王信仰や庚申信仰、道祖神信仰の影響を受けて、「猿」が富士講の神使とされたともいえよう。神使の猿像は、「富士塚や富士山の登り口付近に置かれたもの」と「山頂の社祠の前に置かれたもの」とがあり、前者は合掌して富士山(山頂)を拝む姿、後者は御幣や鈴を持ち社祠を参拝する姿をしている"
なるほど。なので富士塚の登山口両脇にも1対の合掌して猿が置かれているんですね。何か愛嬌があって、拝む様にも見えるし、お願いお願い!と何かを乞う様にも見えるのは、狐や犬じゃなくて猿だからでしょうかね。
話は全然違うんですけれど、この猿が座ってる姿を見て思い出しました。お尻を床に落として、膝を胸につけてかがむ格好って、結構私はするんです。流しの下や小さい冷蔵庫を覗き込む時とか、玄関で靴を取る時とか、床に何かを置いて見る時とか、和式トイレ・・・さすがにこの格好で拝むことはないですけれど(笑)。
私にとってはごく自然に出来る姿なんですけれど、Daveはそれを見て「簡単にそういう格好が出来るんだね。僕は絶対出来ないよ。多分習慣とか体の出来の違いだと思うけど」って言ってたことがあります。で、試しにやってみてもらったんですけど、膝を抱えて体を小さくする姿勢って出来なかったですね。腹が出てる、体が硬い、ってものあるかもしれないですけど(笑)、お尻を落とすと後ろにひっくり返る感じになって、前にはかがめないと言うか、そういう風には体が曲がらない、足も折れないって感じでしたよね。
まぁ、外国の人には正座が難しいみたいなので、足を深く折るのは骨格的に難儀なんでしょうね。やっぱり畳や床に座る生活が私の体をそう発達?させたんでしょうか(笑)。でも、この猿の石像を見て、私がよくする格好はこれと同じだから、傍から見たら猿にしか見えないよなぁ。Deveも暗に「まるで猿みたいだよね」と言っていたのかなぁ・・・と思って苦笑いです。ちょっと人前では気をつけないと(笑)。
by sohla
| 2007-07-02 21:12
| 東京ココやソコ
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