• フォロー|
  • ログイン|
  • ブログを作る!(無料)

「いぬのおなら」の更新通知を受け取る場合はここをクリック

いぬのおなら
eye4you.exblog.jp
ブログトップ

旅、音楽、Art、世の中の出来事、見たり聞いたり感じたこと
by sohla
プロフィールを見る
更新通知を受け取る
Twitter Instagram
カレンダー
< February 2019 >
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28
カテゴリ
全体
いろいろ
国内の旅
海外の旅
東京ココやソコ
それもバリ、これもバリ
みる・きく・かんがえる
lotus
おばさんのデジモノらいふ
teamLab
禁煙
Link
Swallow House
Bali Indonesia Blog

Locations of visitors to this page

Geo Visitors Map
ライフログ

Bali: Sekala and Niskala : Essays on Religion, Ritual, and Art (Bali--Sekala & Niskala)


バリ島物語―A Tale From Bali


地球風俗曼陀羅―浜野安宏ファッションジオグラフィティ

検索
タグ
ニュース・トピック(425)
食べ物(344)
生活・日常(339)
バリ島 - それもバリ、これもバリ(297)
季節・自然(225)
おでかけ(221)
旅(189)
展覧会・イベント(179)
仕事(109)
音楽・映画・本(102)
友だち(78)
お気に入りのモノ(74)
動物(60)
新宿・西新宿界隈(57)
学ぶこと(45)
もの作り(35)
シュナウザー(34)
バティック(29)
アート(23)
キューバ(12)
ブログパーツ
  • 写真等の無断使用禁止
ファン
ブログジャンル
つぶやき
50代
エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項
2007年 06月 26日
車椅子を押す女性
昼過ぎにちょっと出掛けた帰り、柏木公園の脇あたりで車椅子に乗ったおじいさんと、それを押す女性とすれ違ったんです。丁度私が2人を後ろから追い越す感じだったんですけれど、女性の言葉使いからどうやら家族ではなくて介護の女性なんでしょうか。道の真ん中あたりで車椅子を停め、女性がおじいさんの背後から覆いかぶさる様にして何か話しているんですね。

近づいてみると、

「おじいさん!何度言ったらわかるんですかっ!
この足を下ろしたら危ないの、足を上げて下さいっ!」
と、まるで子供を折檻するみたいにおじいさんの脚をパシパシッと叩いてるんです。おじいさんは痴呆なのかどうなのか。「はいはい、足ね」と言いながら車椅子の足置きに脚を乗せたり、またブラ~ンと下ろしたり。するとまた

「どうして下ろすのっ、怪我をするのはおじいさんなんですからっ」
と言う女性の怒り声。

確かに、車椅子を前に進める時に足を足置きからブラ~ンと地面に下ろしてしまったら、地面と足置きにの間に足をグニャっと巻き込んでしまって危ないですよね。

でも・・・車椅子に座っているしかないおじいさんの脚を、人目もはばからずに叩く必要があるのか、叩いて解決することなのか疑問。と言うより見ていて胸が痛くなりましたよね。私は介護の方法とか、こういうときにどうするべきとか全く知らないですけれど、仮にあのおじいさんが痴呆症だったとして、どうしても言う事を聞かない、でも本人は危ないことが判らない、となると叩いて判らせるのも1つの方法だということがあるんでしょうか。

子供が言ってきかなきゃ叩いて叱ることだって時には必要な時もあると思うんですけれど、例え痴呆症だろうと、言って分らなかろうと、高齢者がああやって叩いて叱られるのはやっぱりおかしい。うん、おかしい。悲しいじゃないですか、そんなのって。


と、

表面的な事を見て、介護の経験の無い私は思うのだけれど、介護(特に痴呆など)って本当に大変なんだろうと思うんです。介護の為にまわりの家族は大幅に生活を変えなければならないだろうし、いくら身内と言っても状況によっては精も魂も尽き果てることもあるでしょうし。

沖縄の伊是名・伊平屋島へ行く為に、コザのデイゴホテルから北部の運天港までタクシーに乗った時のこと。割と長い道のりだったので運転手さんと色々と世間話をしていったんですよね。どういう経緯でか、運転手さんのお母さんが痴呆で介護が本当に大変だったとか、一番大変だったのは嫁さんだったと思うとか、家庭は壊れたも同然だった、なんて話しを聞いていたんです。で、「親なのにね、死んでくれたらどんなに楽だろうか、なんて本当に思っちゃうんだよ?情けないんだよ、酷いんだよ、本当に」と呟いていて。私、経験もないのに「そういうこともあるかもしれないな、わかる様な気がするな」なんて思いながら聞いてたんですけれど。

あの車椅子のおじいさんが、どれ程の介護が必要なのか、言う事を聞かない性格なのか、それともいつもいつもああいう扱いをされているのかどうなのか、脚をピシピシッと叩かれながら叱られている光景からだけでは分らないですけれど、介護する側はそれこそ自分の心との戦いなのかも知れないです。介護される人もする人も不幸な光景を見た気がして心が重かった。そんな光景でした。
タグ:
  • 生活・日常
みんなの【生活・日常】をまとめ読み
by sohla | 2007-06-26 09:27 | Comments(2)
Commented by konomi0206 at 2007-06-26 10:02
病院でですが姑が寝込んだことがあって、交替で介護しましたが
それでも、疲れました。
家で、自分だけで介護されてる人のストレスはかなりのものでしょうね。

介護や看護の仕事されてる人の中にも気持ちに余裕がない人も
いると思います。
人手がないことが大きな要因かもしれないですね。
Like
Commented by sohla at 2007-06-26 23:16
>konomiさん、

そうですね、気持ちに余裕がないと出来ることじゃないなってつくづく
思います。それと心も強くないと。家庭内のこととは言え、介護は家族
だけでは対処出来ない場面もあるでしょうから、あらゆるサポートを
利用して少しでも心と体の負担が軽くなるといいですね。

もぅ、どちらの立場も人ごとじゃない年齢なので・・・。
Like
<< the Day of Silence ガスン市場(Pasar Nga... >>

ファン申請

※ メッセージを入力してください