2007年 03月 06日
「大地」の思い出
|
【20世紀のきょう】パール・バック死去(1973・3・6) - iza
そうでしたか。
今から30年ほど前、中学校のスキー教室に参加して泊まった宿に、恐らく当時私よりも少し年上の男の子とお父さん2人でスキーに来ていた親子と同じ宿でした。そのお父さんは私達の様な決して行儀が良いとは言えない中学生の団体にも親しくして下さって、夕食後か何かの時などには色々と話を聞かせてくれたり、ゲームをしたりしてくれました。多分、当時のそのお父さんは今の私と同じ年齢か、それよりちょっと若いくらいだったのでしょうね。
その息子さんの名前が「大地」だったんです。
最近は色々な名前が付けられている様ですけれど、当時の私にとっては「大地」という名前はちょっと珍しいと言うか不思議な響きがあったんですよね。で、お父さんが「"大地"という小説から取った名前で、大きくなったら読んでみるといいよ」と言う様なことを言っていたのだけはず~っと覚えていたんです。当時は「小説の題名を息子の名前にしちゃうんだろうから、何か感動する様な話なんだろうな~」と思った程度で、「大地」という小説がどんなものかも、ノーベル文学賞を取った文学だとも知りませんでした。
それからどれくらい経ってからでしょうかね、実際に素晴らしい小説だと知って、自分で単行本を買って読んだのは20歳頃になってからだったと思います。「あぁ、これがあの時の息子さんの名前、お父さんが話していた「大地」なんだな~」って思いながら一気に読み進めたのを覚えてます。その当時、中国という国は私の意識の中に殆ど無かったので、初めての中国体験みたいなものでしょうか。何だかドロドロして重い、暗い・・・でもあの大陸にグイグイと呑み込まれて行った感じでした。あの土地への固執は凄いな、と。その後も何回か読み直しています。
パール・バックが亡くなったのが1973年ということは、スキー教室であの親子と会った時は、亡くなって数年後だったんですね。あの小説に感銘を受けて、我が子に「大地」と名付けた親は結構いるかもしれないですね。
そうでしたか。
今から30年ほど前、中学校のスキー教室に参加して泊まった宿に、恐らく当時私よりも少し年上の男の子とお父さん2人でスキーに来ていた親子と同じ宿でした。そのお父さんは私達の様な決して行儀が良いとは言えない中学生の団体にも親しくして下さって、夕食後か何かの時などには色々と話を聞かせてくれたり、ゲームをしたりしてくれました。多分、当時のそのお父さんは今の私と同じ年齢か、それよりちょっと若いくらいだったのでしょうね。
その息子さんの名前が「大地」だったんです。
最近は色々な名前が付けられている様ですけれど、当時の私にとっては「大地」という名前はちょっと珍しいと言うか不思議な響きがあったんですよね。で、お父さんが「"大地"という小説から取った名前で、大きくなったら読んでみるといいよ」と言う様なことを言っていたのだけはず~っと覚えていたんです。当時は「小説の題名を息子の名前にしちゃうんだろうから、何か感動する様な話なんだろうな~」と思った程度で、「大地」という小説がどんなものかも、ノーベル文学賞を取った文学だとも知りませんでした。
それからどれくらい経ってからでしょうかね、実際に素晴らしい小説だと知って、自分で単行本を買って読んだのは20歳頃になってからだったと思います。「あぁ、これがあの時の息子さんの名前、お父さんが話していた「大地」なんだな~」って思いながら一気に読み進めたのを覚えてます。その当時、中国という国は私の意識の中に殆ど無かったので、初めての中国体験みたいなものでしょうか。何だかドロドロして重い、暗い・・・でもあの大陸にグイグイと呑み込まれて行った感じでした。あの土地への固執は凄いな、と。その後も何回か読み直しています。
パール・バックが亡くなったのが1973年ということは、スキー教室であの親子と会った時は、亡くなって数年後だったんですね。あの小説に感銘を受けて、我が子に「大地」と名付けた親は結構いるかもしれないですね。
by sohla
| 2007-03-06 21:57
|
Comments(0)