2006年 10月 18日
やっぱり気になるイジメで自殺
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いじめが原因で自殺した中2男子生徒のニュース。
いじめを誘発した教諭の、報道された男子生徒に対する言動、そして暴言を吐いた理由が「からかいやすかったから」って・・・もぅ一端の大人が、それも教師がやることか?言うことか?子供相手にいい大人が何やってるんだ?オマエも子供か?と、腹立たしいやら、驚くやらなのは多分多くの人達と同じ。でも、この教諭に対する生徒達の評判は「口が悪いところがあって、よくふざけていた」「怒るときは怖いが、面白くて人気があった」と、そう悪くないと言うことなので人気はあった先生なんでしょうね。もしかしたら、その人気を過信して驕りがあったとか、調子に乗って無神経になっていたんだろうか。
でも、からかわれた方としては、原因が何であろうとたまったものではないし、報道されているこの男子生徒に言った言葉、他の生徒に言った言葉を見ると、状況や言い方にもよるでしょうけれど、"からかう"と言うより、やっぱり暴言ですよね。
が、それも生徒評では人気者 - いじめ誘発男性教諭『悪ふざけ多い』ともによると、
で、時期が判らないけれども、母親の話によると「母親が男子生徒のインターネット利用について教諭に相談した内容を他の生徒たちに明かして、同級生らがこれに絡めたあだ名で呼ぶようになった。男子生徒はこの後「学校に行きたくない」と言うようになった」と。
教諭の無神経さとか資質のなさはさっき書いた通りなんですけれど、これを読んでアレッ?と思ったのは、経緯や因果関係は事件後のアンケートや友人の証言から知ったとしても、当時「学校に行きたくない」とまで思っていた気持ちを、少なくとも親は知っていたんだと言う事。今、教諭の暴言があった、どんなものだった、継続的だった、引き金になったなどと言っているので、私は親にとっては寝耳に水、全く心当たりがないことだったのだと思ってました。でも、「学校に行きたくない」ことが起こっていたことは、事実のごく一部としても、1年生の時に表面化したことがあったんですね。そして、実際には中学入学前から既にいじめがあったと。<福岡いじめ自殺>男子生徒、小学5年からいじめ受ける
う~ん、益々わからない・・・。
今、盛んに教諭による暴言がいじめを誘発して自殺に追い込んだとか、いや、確かに教諭の言動はいじめだけれども、自殺の直接的な原因は同級生のいじめだとか、細かいところで学校側の話は事実と違うとか、双方の話が報道されていますけれど、教諭の暴言もあった、同級生のいじめもあった、中学入学前からいじめ自体はあった、そして「学校へ行きたくない」というサインもあった、親もそれは気が付いていた、相談を受けていた友達も何人かいた。これ、全てを教諭が引き金を引いた、それがなければ自殺はしなかったと、直接的な原因にしてしまっていいもんなんだろうかって感じるんですけれど、どうなんでしょうか。
この男の子は、"遺言 お金はすべて学校に寄付します"って書いているんですよね。それって、(その教諭がいる)学校が嫌いな訳ではなかったのではないでしょうか。
私、もう社会人になってからのことですけれど、ある学校へ通っていた時に、気まぐれな学校の男性所長に些細なことから、授業中の仲間の前でオマエ呼ばわりされて、「今すぐ出て行けー」みたいに怒鳴られたことがあるんですよね、それも延々と恫喝みたいに。私はそこまで言われる筋合いはないと思ったので、そりゃ居心地が悪かったし、出て行くのも簡単でしたけれど、出て行かなかったし、その後も講義は受けました。その時の事を考えてみると、学校自体に強い不信感を持ったし怒りもあったので、この男の子の言葉の様に"お金はすべて学校に寄付します"なんて絶対に言えないし、思えません。
学校や本人が認めている通り、イジメと自覚があったか無かったかは別として、教諭の暴言があったのは事実、学校側もそれを知らなかったでは済まされないのも事実、でも自殺の直接的な原因、"うざい奴等"ってのは、いじめていた子供達なんでしょう?
今の教諭や学校相手に追求しているように、同じ年頃の子供やその親相手にするのは、憤りのぶつけようがなくてやり難いのかも知れないですけれど、そこを逸らしてしまうとしたら、残った者が意図的に的を絞った真実の一部分だけを追求する陰で、実際いじめに加担した子供達を"教諭・学校の責任"という"的"の外に逃げさせるだけなんじゃないか、それでは違うんじゃないかって感じるんです。
大きくなったら、もっともっと恥をかくことも、どうしようもない壁にぶつかったと感じることも、もぅドン底を這い回ってる気分のときも、色々あるんですけれどね。それでも大抵は乗り越えられたり、かわしたり、ズドーンと落ちた気持ちのまま首をすぼめてジッとしているだけだったり、相手があることであれば、馬鹿なヤツらだと心の中で抹殺出来る様になったり、時には真っ向から闘ってみたり、サッサと逃げてみたり。皆そういう風に自分なりにやり過ごして、過去の悪い思い出、悔しい気持ちもちっぽけなものに出来るんだと思うんですよね。
それより何より、自分が死んだら悲しむ人が一人でもいたらダメです、自殺しては。中学生ではまだまだ想像がつかないと思うし、自力では無理かもしれないですけれど、フッと顔を上に向けてあげられる大人が近くにいたら良かったのにね。
いじめを誘発した教諭の、報道された男子生徒に対する言動、そして暴言を吐いた理由が「からかいやすかったから」って・・・もぅ一端の大人が、それも教師がやることか?言うことか?子供相手にいい大人が何やってるんだ?オマエも子供か?と、腹立たしいやら、驚くやらなのは多分多くの人達と同じ。でも、この教諭に対する生徒達の評判は「口が悪いところがあって、よくふざけていた」「怒るときは怖いが、面白くて人気があった」と、そう悪くないと言うことなので人気はあった先生なんでしょうね。もしかしたら、その人気を過信して驕りがあったとか、調子に乗って無神経になっていたんだろうか。
でも、からかわれた方としては、原因が何であろうとたまったものではないし、報道されているこの男子生徒に言った言葉、他の生徒に言った言葉を見ると、状況や言い方にもよるでしょうけれど、"からかう"と言うより、やっぱり暴言ですよね。
が、それも生徒評では人気者 - いじめ誘発男性教諭『悪ふざけ多い』ともによると、
"自殺した生徒を「偽善者」と呼んだり、生徒をイチゴの品種に例えて序列化し、保護者から中止を求められたり。学校側の調査では、度が過ぎた教諭の言動は、約一年半前の一年生の一学期が中心だったという。"ふむ・・・。
で、時期が判らないけれども、母親の話によると「母親が男子生徒のインターネット利用について教諭に相談した内容を他の生徒たちに明かして、同級生らがこれに絡めたあだ名で呼ぶようになった。男子生徒はこの後「学校に行きたくない」と言うようになった」と。
教諭の無神経さとか資質のなさはさっき書いた通りなんですけれど、これを読んでアレッ?と思ったのは、経緯や因果関係は事件後のアンケートや友人の証言から知ったとしても、当時「学校に行きたくない」とまで思っていた気持ちを、少なくとも親は知っていたんだと言う事。今、教諭の暴言があった、どんなものだった、継続的だった、引き金になったなどと言っているので、私は親にとっては寝耳に水、全く心当たりがないことだったのだと思ってました。でも、「学校に行きたくない」ことが起こっていたことは、事実のごく一部としても、1年生の時に表面化したことがあったんですね。そして、実際には中学入学前から既にいじめがあったと。<福岡いじめ自殺>男子生徒、小学5年からいじめ受ける
う~ん、益々わからない・・・。
今、盛んに教諭による暴言がいじめを誘発して自殺に追い込んだとか、いや、確かに教諭の言動はいじめだけれども、自殺の直接的な原因は同級生のいじめだとか、細かいところで学校側の話は事実と違うとか、双方の話が報道されていますけれど、教諭の暴言もあった、同級生のいじめもあった、中学入学前からいじめ自体はあった、そして「学校へ行きたくない」というサインもあった、親もそれは気が付いていた、相談を受けていた友達も何人かいた。これ、全てを教諭が引き金を引いた、それがなければ自殺はしなかったと、直接的な原因にしてしまっていいもんなんだろうかって感じるんですけれど、どうなんでしょうか。
"学校側は十六日に全校生徒を対象に、今後、教職員に期待することを聞く無記名のアンケートを実施。アンケート自体は男子生徒の両親が希望したものだったが、父親は「先生の悪いところ、先生がいじめをやっているかを聞いてほしかった。内容がお願いしていたものと違う」と憤った。"ともあるんですが、う~ん、一つ一つ確たる証言を集めて事実を明らかにしたいと言う気持ちも解りますけれど、人の悪いところを生徒に書かせるってのは、何だかゾッとする事だなというのが正直な感想。申し訳ないのですけれど。それでもこれを聞くなら、先生のことだけではなくて、生徒についても聞かないとフェアではないのではないかとも。
この男の子は、"遺言 お金はすべて学校に寄付します"って書いているんですよね。それって、(その教諭がいる)学校が嫌いな訳ではなかったのではないでしょうか。
私、もう社会人になってからのことですけれど、ある学校へ通っていた時に、気まぐれな学校の男性所長に些細なことから、授業中の仲間の前でオマエ呼ばわりされて、「今すぐ出て行けー」みたいに怒鳴られたことがあるんですよね、それも延々と恫喝みたいに。私はそこまで言われる筋合いはないと思ったので、そりゃ居心地が悪かったし、出て行くのも簡単でしたけれど、出て行かなかったし、その後も講義は受けました。その時の事を考えてみると、学校自体に強い不信感を持ったし怒りもあったので、この男の子の言葉の様に"お金はすべて学校に寄付します"なんて絶対に言えないし、思えません。
学校や本人が認めている通り、イジメと自覚があったか無かったかは別として、教諭の暴言があったのは事実、学校側もそれを知らなかったでは済まされないのも事実、でも自殺の直接的な原因、"うざい奴等"ってのは、いじめていた子供達なんでしょう?
今の教諭や学校相手に追求しているように、同じ年頃の子供やその親相手にするのは、憤りのぶつけようがなくてやり難いのかも知れないですけれど、そこを逸らしてしまうとしたら、残った者が意図的に的を絞った真実の一部分だけを追求する陰で、実際いじめに加担した子供達を"教諭・学校の責任"という"的"の外に逃げさせるだけなんじゃないか、それでは違うんじゃないかって感じるんです。
大きくなったら、もっともっと恥をかくことも、どうしようもない壁にぶつかったと感じることも、もぅドン底を這い回ってる気分のときも、色々あるんですけれどね。それでも大抵は乗り越えられたり、かわしたり、ズドーンと落ちた気持ちのまま首をすぼめてジッとしているだけだったり、相手があることであれば、馬鹿なヤツらだと心の中で抹殺出来る様になったり、時には真っ向から闘ってみたり、サッサと逃げてみたり。皆そういう風に自分なりにやり過ごして、過去の悪い思い出、悔しい気持ちもちっぽけなものに出来るんだと思うんですよね。
それより何より、自分が死んだら悲しむ人が一人でもいたらダメです、自殺しては。中学生ではまだまだ想像がつかないと思うし、自力では無理かもしれないですけれど、フッと顔を上に向けてあげられる大人が近くにいたら良かったのにね。
by sohla
| 2006-10-18 01:25
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