2006年 10月 02日
力石(ちからいし)
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明日のジョーファンの方なら"リキイシ"と読むかもな~と思って、"ちからいし"と振り仮名をふっておきました(笑)。
習い始めたバティックのお教室のすぐ近くに、「讃岐・小白稲荷神社」という小さな小さな神社があります。なんでも「讃岐」と「小白」の両稲荷を合祀した神社らしく、入り口には鳥居も別々に2つあるんです。
境内(と言っても、数歩の奥行きしかないですけれど)や拝殿の両脇には、お稲荷様なのでおキツネさんがズラッ。
私、いつも不安に思うことがあるんですけれど、おキツネさんは油揚げをあげないで「わぁ~、可愛いな~」「へぇ、こんな古い祠にちゃんとおキツネさんがいる~」などと興味本位で写真を撮っても大丈夫なもんなんでしょうか・・・。
旅行先や出掛け先でお稲荷さんへ行ったり、町によっては道端の普通の民家の前に灯篭みたいな古い古い石の祠があって、小さなおキツネさんがちゃんと祀られているのを見ると、つい写真を撮りたくなるのだけれど、何とな~く「大丈夫かな?キツネが憑いたりしないのかな?」なんていつも思っちゃうんです。京都の伏見稲荷でもそうでした。なので、心の中で「はいはい、御免なさいね、ちょっと写真を撮らせて頂きますよ~」とか「済みませんね~」って呟いているんですけれど(笑)。
どっちの鳥居だったか、入ってすぐのところに小さな穴が掘ってあって、そこにも小さな鳥居と小さなおキツネさん(上の写真)。そのお隣に「力石」が2つと説明書きがあります。
力石は主に神社の境内などにあって、その昔は祭の際に力石を持ち上げたりして力自慢を競う競技が行われていたそうです。石には「何貫目」と重さが刻まれたり、神様に捧げる意味で「奉納」と刻まれたり、持ち上げた人の名前が刻まれたりしているそう。この石にも文字が刻まれてますね。
機械が無い昔は米俵を担いだり、材木を担いだり、樽を運んだりと、力仕事が多かったので、力くらべや体力を養ったり、一人前の男として「力持ち」であると証明する通過儀礼であったり、また同時に娯楽でもあった様です。「力」のある人は、稼ぎも多く村一番の美人を嫁にすることも出来た地域もあったとか!
う~ん、今の時代にこんな風習が普通に残っていたら、街には逞しく男らしい人がもっと生き残っていたんだろうか・・・それもえぇなぁ。「力なんてあってもダメ、男は頭脳。頭脳でどれだけ稼ぐかだよ」なんて言う人がいるかどうか知らないけれど(笑)、そんな講釈を垂れる色白細々君より、気は優しいけど「トリャッ」と力石を持ち上げる色黒豪快君の方が、断然頼もしくていいなぁ(個人的見解)。神社の力石で力試しとか復活すればいいのになぁ(個人的希望)。
実は、近所の成子天神の境内にも力石があるんです。ちょっと解り難いですけれど、「XX貫目」と重さが刻まれてます。
成子天神の場合は、7つの力石が拝殿前の植木の中に無造作に転がっていて、「これが力石?」と言う感じなんですけれど、説明書きの立て札を見るとどうやらそうらしい。尚且つ、その周りが柵で囲われているの
で、全部を間近で見ることが出来ないんです、残念。
一応、新宿区指定有形民族文化財ってなってます。ほほぅ、昭和初期まで9月25日の大祭で力くらべをやっていたんですね。あの、この前ココで"寂しいお祭り"と書いた大祭でやっていたのか~。昔はこの辺りにも力自慢がいたんですね。
この力石、結構あちこちの神社などにひっそりとありそうです。自然石がそのまま転がっていたり、置かれていたりしているので、そのうち雨風で風化しちゃうのでは?とちょっと心配なんですけれど、力石を眺めながら、昔の若者が汗を流して力自慢をする光景、それを見ている村人たちが沸く光景を思い浮かべるのもなかなか楽しい、一時のタイムスリップです。
参考:力石について
四日市大学健康科学研究室 力石の研究
習い始めたバティックのお教室のすぐ近くに、「讃岐・小白稲荷神社」という小さな小さな神社があります。なんでも「讃岐」と「小白」の両稲荷を合祀した神社らしく、入り口には鳥居も別々に2つあるんです。
境内(と言っても、数歩の奥行きしかないですけれど)や拝殿の両脇には、お稲荷様なのでおキツネさんがズラッ。
私、いつも不安に思うことがあるんですけれど、おキツネさんは油揚げをあげないで「わぁ~、可愛いな~」「へぇ、こんな古い祠にちゃんとおキツネさんがいる~」などと興味本位で写真を撮っても大丈夫なもんなんでしょうか・・・。
旅行先や出掛け先でお稲荷さんへ行ったり、町によっては道端の普通の民家の前に灯篭みたいな古い古い石の祠があって、小さなおキツネさんがちゃんと祀られているのを見ると、つい写真を撮りたくなるのだけれど、何とな~く「大丈夫かな?キツネが憑いたりしないのかな?」なんていつも思っちゃうんです。京都の伏見稲荷でもそうでした。なので、心の中で「はいはい、御免なさいね、ちょっと写真を撮らせて頂きますよ~」とか「済みませんね~」って呟いているんですけれど(笑)。
どっちの鳥居だったか、入ってすぐのところに小さな穴が掘ってあって、そこにも小さな鳥居と小さなおキツネさん(上の写真)。そのお隣に「力石」が2つと説明書きがあります。
力石は主に神社の境内などにあって、その昔は祭の際に力石を持ち上げたりして力自慢を競う競技が行われていたそうです。石には「何貫目」と重さが刻まれたり、神様に捧げる意味で「奉納」と刻まれたり、持ち上げた人の名前が刻まれたりしているそう。この石にも文字が刻まれてますね。
機械が無い昔は米俵を担いだり、材木を担いだり、樽を運んだりと、力仕事が多かったので、力くらべや体力を養ったり、一人前の男として「力持ち」であると証明する通過儀礼であったり、また同時に娯楽でもあった様です。「力」のある人は、稼ぎも多く村一番の美人を嫁にすることも出来た地域もあったとか!
う~ん、今の時代にこんな風習が普通に残っていたら、街には逞しく男らしい人がもっと生き残っていたんだろうか・・・それもえぇなぁ。「力なんてあってもダメ、男は頭脳。頭脳でどれだけ稼ぐかだよ」なんて言う人がいるかどうか知らないけれど(笑)、そんな講釈を垂れる色白細々君より、気は優しいけど「トリャッ」と力石を持ち上げる色黒豪快君の方が、断然頼もしくていいなぁ(個人的見解)。神社の力石で力試しとか復活すればいいのになぁ(個人的希望)。
実は、近所の成子天神の境内にも力石があるんです。ちょっと解り難いですけれど、「XX貫目」と重さが刻まれてます。
成子天神の場合は、7つの力石が拝殿前の植木の中に無造作に転がっていて、「これが力石?」と言う感じなんですけれど、説明書きの立て札を見るとどうやらそうらしい。尚且つ、その周りが柵で囲われているの
で、全部を間近で見ることが出来ないんです、残念。
一応、新宿区指定有形民族文化財ってなってます。ほほぅ、昭和初期まで9月25日の大祭で力くらべをやっていたんですね。あの、この前ココで"寂しいお祭り"と書いた大祭でやっていたのか~。昔はこの辺りにも力自慢がいたんですね。
この力石、結構あちこちの神社などにひっそりとありそうです。自然石がそのまま転がっていたり、置かれていたりしているので、そのうち雨風で風化しちゃうのでは?とちょっと心配なんですけれど、力石を眺めながら、昔の若者が汗を流して力自慢をする光景、それを見ている村人たちが沸く光景を思い浮かべるのもなかなか楽しい、一時のタイムスリップです。
参考:力石について
四日市大学健康科学研究室 力石の研究
by sohla
| 2006-10-02 22:22
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