2006年 08月 09日
靖国神社遊就館へ
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8月6日広島原爆の日、靖国神社へ行って来ました。
実は昨日触れた広島・元安川の岸壁に映し出された岡本太郎の「明日の神話」の写真を見て、無性にまた汐留に見に行きたくなって家を出たんですけれど、駅までの短い道のりの間に、「そうだ!今日は靖国神社へ行って、遊就館へも行こう」と急遽予定を変更して向かったのでした。
去年は8月15日の終戦記念日にお参りに行ったんですが、もぅ暑くて暑くて、本殿まで辿り着くまでの待つ間にも、立っているだけで全身から汗が噴出してクラクラするほどでした。参拝を終えて遊就館へも立ち寄ろうかと思ったんですが、暑さでクッタリ気味だった私は結構混んでいそうな遊就館へ行く気力もなく帰って来てしまったんです。
で、今年は8月15日にまたお参りに行くかどうかは別として、遊就館は別の日に行った方がゆっくり見れるかなと思っていたので丁度良いチャンスでした。でも・・・また暑かったこと暑かったこと。九段下駅を出ると蝉がジージーと大合唱、エンジンを掛けっぱなしの観光バスやら何やらがズラーッと並ぶ熱気をくぐり抜けて歩いて行きます。いやぁ、それにしても暑かった。
夏休みなのでそこそこ人はいるだろうと思っていたんですが、遊就館には親子連れが結構来ていて、メチャクチャ混んでる訳ではないですけれど、絶え間なく人が訪れているんですね。
靖国参拝、米中の非関与提唱 アーミテージ前米国務副長官に聞く - 産経新聞 07/20
《リチャード・アーミテージ前米国務副長官が産経新聞に語った日中関係や靖国問題に関する見解の詳細》の中で、「靖国問題は日中間の他の諸問題の症候であり、日中関係を難しくした理由や原因ではない」「祖先、とくに戦没者をどう追悼するかは日本自身が決めることだ。その対象にはA級戦犯も含まれる」「中国は日本の首相に靖国参拝中止の指示や要求をすべきではない」などと、いくつか日中関係や靖国問題について語った中にこうありました。
お父さんが小学校低学年くらいの息子さんに出来事を説明をしながら見て回っているのを見て、歴史の勉強と言えば、教科書の古代ですでに力尽きて、その後の長い長い歴史は起きた出来事を「ふんふん」と順に読んでいっただけの様な私は、もう一度勉強しなくてはなぁと思いながら見ていました。「へぇ、日本って凄かったんだね」と言った、その男の子の言葉が耳に残ってます。
やはり、「靖国の神々」のコーナーは心にズシッと来ます。
元々私が靖国神社にお参りをしようと思い始めたのははたかだか去年からで、大西瀧治郎中将特攻作戦の真意の中に書かれている様に、成功の見込みは殆どないにも関わらず、講和後の日本、民族の復興を願い、命と引き換えに戦争の後始末をしようとした、後に残る者を護ろうと命を落とした人々の志に敬意を払わずにはいられないと感じたからなのですが、「靖国の神々」で遺品や遺書を実際に見ると「もう二度とこんなことがあってはいけない」とつくずく思います。
私は戦闘機や戦艦、兵器などについて全く知識もないのですが、あの「回天」が思っていたより大きかったこと、「桜花」が小さかったこと、戦艦の立派さにちょっと驚いたり・・・全てをじっくりとかみ締めて見る時間はなかったのですが、また折々に行ってみようかなと思っています。
元安川の岸壁に映し出された岡本太郎の「明日の神話」を見て、61年前に炸裂した悲劇の瞬間に神話が始まっていたのか・・・と、この前書いたのですが、もしかしたらそのちょっと前から国を護るために命を落とした方々で始められていたのかもな、なんて思った1日でした。
そして今日9日は長崎原爆の日。
実は昨日触れた広島・元安川の岸壁に映し出された岡本太郎の「明日の神話」の写真を見て、無性にまた汐留に見に行きたくなって家を出たんですけれど、駅までの短い道のりの間に、「そうだ!今日は靖国神社へ行って、遊就館へも行こう」と急遽予定を変更して向かったのでした。
去年は8月15日の終戦記念日にお参りに行ったんですが、もぅ暑くて暑くて、本殿まで辿り着くまでの待つ間にも、立っているだけで全身から汗が噴出してクラクラするほどでした。参拝を終えて遊就館へも立ち寄ろうかと思ったんですが、暑さでクッタリ気味だった私は結構混んでいそうな遊就館へ行く気力もなく帰って来てしまったんです。
で、今年は8月15日にまたお参りに行くかどうかは別として、遊就館は別の日に行った方がゆっくり見れるかなと思っていたので丁度良いチャンスでした。でも・・・また暑かったこと暑かったこと。九段下駅を出ると蝉がジージーと大合唱、エンジンを掛けっぱなしの観光バスやら何やらがズラーッと並ぶ熱気をくぐり抜けて歩いて行きます。いやぁ、それにしても暑かった。
夏休みなのでそこそこ人はいるだろうと思っていたんですが、遊就館には親子連れが結構来ていて、メチャクチャ混んでる訳ではないですけれど、絶え間なく人が訪れているんですね。
靖国参拝、米中の非関与提唱 アーミテージ前米国務副長官に聞く - 産経新聞 07/20
《リチャード・アーミテージ前米国務副長官が産経新聞に語った日中関係や靖国問題に関する見解の詳細》の中で、「靖国問題は日中間の他の諸問題の症候であり、日中関係を難しくした理由や原因ではない」「祖先、とくに戦没者をどう追悼するかは日本自身が決めることだ。その対象にはA級戦犯も含まれる」「中国は日本の首相に靖国参拝中止の指示や要求をすべきではない」などと、いくつか日中関係や靖国問題について語った中にこうありました。
"日本の首相の靖国参拝には問題がなくても、靖国境内にある遊就館の一部展示の説明文は米国人や中国人の感情を傷つける。太平洋戦争の起源などについて日本の一般の歴史認識にも反する記述がある。日本が自国の戦争を記録するための軍事博物館を持つことは大切だが、そこにある記述があまりに不適切なことは日本側でも再考されるべきだ。"正直アメリカが考える"日本の一般の歴史認識"がどんな認識なのか、それが世界の認識なのか、正しい認識なのかというと疑問ですし、"米国人や中国人の感情を傷つける"と言われると、お互い様ではないのかとも思います。立場によって事実に対する認識は違うでしょうし、遊就館はその異なった認識をすり合わせる場所でもなく、その認識を国外向けに訴えている場所でもなく、事実(の一側面)を展示、説明した軍事博物館だと私は捉えて見て来たのですが、まだ見方が浅いのでしょうか、どうなんでしょうか。
お父さんが小学校低学年くらいの息子さんに出来事を説明をしながら見て回っているのを見て、歴史の勉強と言えば、教科書の古代ですでに力尽きて、その後の長い長い歴史は起きた出来事を「ふんふん」と順に読んでいっただけの様な私は、もう一度勉強しなくてはなぁと思いながら見ていました。「へぇ、日本って凄かったんだね」と言った、その男の子の言葉が耳に残ってます。
やはり、「靖国の神々」のコーナーは心にズシッと来ます。
元々私が靖国神社にお参りをしようと思い始めたのははたかだか去年からで、大西瀧治郎中将特攻作戦の真意の中に書かれている様に、成功の見込みは殆どないにも関わらず、講和後の日本、民族の復興を願い、命と引き換えに戦争の後始末をしようとした、後に残る者を護ろうと命を落とした人々の志に敬意を払わずにはいられないと感じたからなのですが、「靖国の神々」で遺品や遺書を実際に見ると「もう二度とこんなことがあってはいけない」とつくずく思います。
私は戦闘機や戦艦、兵器などについて全く知識もないのですが、あの「回天」が思っていたより大きかったこと、「桜花」が小さかったこと、戦艦の立派さにちょっと驚いたり・・・全てをじっくりとかみ締めて見る時間はなかったのですが、また折々に行ってみようかなと思っています。
元安川の岸壁に映し出された岡本太郎の「明日の神話」を見て、61年前に炸裂した悲劇の瞬間に神話が始まっていたのか・・・と、この前書いたのですが、もしかしたらそのちょっと前から国を護るために命を落とした方々で始められていたのかもな、なんて思った1日でした。
そして今日9日は長崎原爆の日。
by sohla
| 2006-08-09 00:33
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