2017年 03月 19日
せとうち旅行⑧ 萬翠荘
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萬翠荘 -"大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。"
ホール左右の微妙な位置に立つ柱は、(なぜここに重厚な柱?)と場違いな印象があったのだけれど、赤い絨毯の下が大理石のような造りなんですかね、それならしっくりするかも。
2階貴賓室
1階は白を基調とした謁見の間、茶色を基調とした落ち着いた大広間、2階は裕仁親王(昭和天皇)が滞在された際に朝食を取られた部屋、定謨の部屋や貴賓室。そして各部屋に備え付けられた外国製暖炉(ガスストーブ)、その上に取り付けられたベルギー製の大鏡、欄間のステンドグラス、オール水晶のシャンデリアなど、シンプルで落ち着いた色目の木製建具と白壁のお部屋に配されていて、絢爛豪華というよりは大正浪漫の建築美。最も、建物は戦後は米軍将校宿舎、家庭裁判所、県立郷土芸術館、そして現在の県美術館分館と変遷を辿って来たとのことなので、本来の館はもう少し違う雰囲気もあったのかもしれないですね。
1階大広間 総水晶のシャンデリア
1階謁見の間
入口扉上に描かれているのは、江戸幕府から神奈川湾警備を命じられた松山藩が、藩財政1年分に当たる7万両と延べ30万人を投入しわずか1年で築造した神奈川台場から神奈川湾、さらに遠く房総半島を望むパノラマ「神奈川台場の図」。
謁見の間は部屋貸ししているのか、絵画展のようなものに使われており、別に見たいと思わない絵が目に入り、部屋全体の雰囲気が台無しだったのが残念。
入口扉上に描かれているのは、江戸幕府から神奈川湾警備を命じられた松山藩が、藩財政1年分に当たる7万両と延べ30万人を投入しわずか1年で築造した神奈川台場から神奈川湾、さらに遠く房総半島を望むパノラマ「神奈川台場の図」。
謁見の間は部屋貸ししているのか、絵画展のようなものに使われており、別に見たいと思わない絵が目に入り、部屋全体の雰囲気が台無しだったのが残念。
2階 裕仁親王(昭和天皇)が朝食を取られた部屋
陽が差し込む明るいこの部屋は、こじんまりしていて(凄く小さい)気持ちが良さそう。思わず椅子に座りたくなる…。
by sohla
| 2017-03-19 09:33
| 国内の旅
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