2014年 01月 12日
もみじ谷、蛇塚そして宝殊院
|
増上寺を中心に芝公園あたりの今昔。
古地図で比べてみるとこんな感じでしょうか。赤丸が今も昔も同じ名前で残っていると思われるところをざっと。大名屋敷、寺院や念仏道場、学寮と寺院が沢山あって、北側が東京プリンンス、南側がザ・プリンスパークタワー東京になって広大な増上寺が小さくなった以外(その昔は25万坪の境内に常時三千人もの修行僧がいたそうそうで、現在は1万6千坪)は、区画自体はそれほど劇的には変わっていないよう。
まぁ、以前ココでも書いた通り、門前の街並みの変わりようは昔の人が見たら腰を抜かすとは思いますが。
さて、もみじ谷から帰る途中、東京タワー下交差点の増上寺側にある弁天池の脇にある宝殊院にも立ち寄ってみました。
その昔は弁天池も宝殊院も増上寺の伽藍群の1部だったようで、俳人たちに愛された茶店”田川亭”と弁天池によると、かつてもみじ谷の滝や川が流込んでいた先が弁天池で、池の中央に祀られていた弁財天は現在は宝殊院へ、池は形を変えて赤羽橋近くにこのように残されたものとのこと。
古地図にも弁天池はあるし江戸名所図会でも、増上寺に裏手にかなり大きな池として描かれているのだけれど、見た感じどうも”公園の池”みたいな印象も。昔の規模から比べると水たまりのような大きさだけれども、それでも名残には違いないですが。
宝殊院にはこんな立札が。ヘビ・カエル・ナメクジの三竦み(さんすくみ)だそう。
ヘビがカエルを食べる、カエルがナメクジを食べる、ナメクジがヘビを溶かすという三竦みを意味し、物事が動かなくなる、転じて平和を願う気持ちがこの3つに表現されているとのこと。
グー・チョキ・パーじゃ絵にならないですもんね。
お寺の敷地内には、この3つを表すものが点在していて、見つけるのが難しいかもと書かれていたのだけれど、お正月ということでそれぞれしめ縄が飾られていたのですぐわかりました。
敷地にはためいているのは「港七福神めぐり」だったかな。七福神で紅一点の弁才天(弁財天)=サラスワティ。開運、商売繁盛、弁舌、芸術、財神、延寿…ご利益のショーケース。何はともあれお参りお参り。こちらには港区指定文化財の閻魔大王も祀られているとのこと。
この辺り、うろうろと歩き回っても寒くないぐらいの時期になったらまた来てじっくり廻ってみようかな。芝円山古墳もあるんですよね、そうだ東京タワーにも上ってみよう。
古地図で比べてみるとこんな感じでしょうか。赤丸が今も昔も同じ名前で残っていると思われるところをざっと。大名屋敷、寺院や念仏道場、学寮と寺院が沢山あって、北側が東京プリンンス、南側がザ・プリンスパークタワー東京になって広大な増上寺が小さくなった以外(その昔は25万坪の境内に常時三千人もの修行僧がいたそうそうで、現在は1万6千坪)は、区画自体はそれほど劇的には変わっていないよう。
まぁ、以前ココでも書いた通り、門前の街並みの変わりようは昔の人が見たら腰を抜かすとは思いますが。
古地図にも弁天池はあるし江戸名所図会でも、増上寺に裏手にかなり大きな池として描かれているのだけれど、見た感じどうも”公園の池”みたいな印象も。昔の規模から比べると水たまりのような大きさだけれども、それでも名残には違いないですが。
宝殊院にはこんな立札が。ヘビ・カエル・ナメクジの三竦み(さんすくみ)だそう。
ヘビがカエルを食べる、カエルがナメクジを食べる、ナメクジがヘビを溶かすという三竦みを意味し、物事が動かなくなる、転じて平和を願う気持ちがこの3つに表現されているとのこと。
グー・チョキ・パーじゃ絵にならないですもんね。
お寺の敷地内には、この3つを表すものが点在していて、見つけるのが難しいかもと書かれていたのだけれど、お正月ということでそれぞれしめ縄が飾られていたのですぐわかりました。
敷地にはためいているのは「港七福神めぐり」だったかな。七福神で紅一点の弁才天(弁財天)=サラスワティ。開運、商売繁盛、弁舌、芸術、財神、延寿…ご利益のショーケース。何はともあれお参りお参り。こちらには港区指定文化財の閻魔大王も祀られているとのこと。
by sohla
| 2014-01-12 00:55
| 東京ココやソコ
|
Comments(0)