2011年 09月 12日
国分寺③ 殿ヶ谷戸庭園
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お鷹の道を歩いて不動橋まで辿り着き、坂を登って国分寺駅と思われる方を目指して行くと、どうやら1本右手の道が殿ヶ谷戸庭園の裏に沿っている模様。
駅から徒歩3分くらい。こんなに駅チカにこんな庭園があるなんて。庭園は大正2年~4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年に三菱財閥の岩崎家の別邸となったとのこと。国分寺駅の開業が明治22年らしく、駅前はどこの駅前と同じくビルやお店が建ち並ぶ商業地になっているけれど、当時は崖の上からはのどかな町や村の様子が一望出来たのかもしれないですね。敷地約6000坪、駅至近、湧水と崖付き、段丘の崖にできた谷、武蔵野の自然の地形を利用した別荘かぁ・・・。
別に岩崎家ゆかりの地を訪れているワケではないけれど、東京都の庭園だけでも旧岩崎庭園、六義園、清澄庭園、殿ヶ谷戸庭園が岩崎家の所有だったというのだから、あちこちで岩崎家の足跡を見るような気がするのも納得。
駅からは逆方向から来たので、この大層立派な蔵の裏手を通って来たんですが、私が住んでるアパート全部より大きいです。多分頑丈さから言っても負けてます(笑)。分厚い扉や鉄格子のはまった地下の窓を見るだけで、「三菱のお宝が保管されていた歴史もあるんでしょうなぁ・・・」と勝手に思いを馳せてしまったり。現在は盆栽展や講習会をこの蔵で開催することもあるようですが。
そうそう。入り口で入園料を払うと、「蚊が多いですからそちらの団扇をお使い下さい」とのことで、備え付けられている団扇を1つ拝借。
んー、また蚊。嫌な予感。
ここに来るまで散々刺されて痒いのなんのだから、先に近くで薬局でも探して虫除けスプレーを買ってくるんだった。庭園となればそりゃぁブンブンいますよねぇ・・・。
平日なのでひと気もまばらでいい調子。これだけ駅から近いと地元の方々はいつでも気軽に自然を満喫出来ますね。大名庭園と違って元々が民間人のものだったからでしょうかね、庭園と言ってもかしこまらない感じがします。開けた芝生を眺めながらベンチに座るのも良し、茶室・紅葉亭に腰掛けて崖下の鬱蒼とした緑や池をを眺めるのも良しと、思い思いの場所でくつろげそう。
ダーッと広い大芝生を抜けて、可愛らしい萩のトンネルを通り、斜面を下って崖下へ降りて行くと立派な孟宗竹の竹林。
こんな風に長~い手すりも自前の孟宗竹(多分、笑)。ジェゴグじゃないけれど叩いたら良い音がしそう(笑)。
いいですねぇ、竹。
何でも笹からバンブーまで、竹は赤道を中心に、北・南緯40度の温かくて乾燥していない地域生えていて、その80%はアジア地域に集中しているそう。地図を見ると、ヨーロッパ全土や北米、北アフリカ、オーストラリアなどは生育地域から外れているみたいなんですね。こんな美しいものが生活や文化や風景の中に無いなんて、アジア人である私としてはちょっと想像出来ないけれど、そういう感覚がアジア人なのかも。
一ヶ所にまとまって生えてるボリュームのあるバンブーもいいけれど、一本一本がスーッと伸びて林を作った全体の美しさも好き。
この先へ歩いて行くと湧水池の次郎弁天池。崖の下の"谷底"に湧水が溜まり樹林が生い茂っているという感じで、入り口近くの明るく開けた庭園の趣きとは全然違います。さほど大きな池ではないけれど自然な雰囲気がホッとします。
えー、蚊は多いけれど(笑)。
池の傍らにある湧水源。1分間に37㍑も湧出ているんですね。本当に武蔵野の地形と自然がそのままギュッと詰まった感じで、ここは秋の紅葉の時期、冬の雪景色も見てみたいもの。
小さな滝があって、その脇をまた少し上がると茶室の紅葉亭、その脇には井戸水を利用した鹿おどし。これがまたいい音が谷に響いて、耳には水や鹿おどしの音、目には鬱蒼とした樹林、赤い金魚の群れとゆらゆらと揺れる水草と、決して明るい場所ではないけれど、目にも耳にも心地よいのです。
紅葉亭の前に腰掛けて、しばし景色を眺めながら雰囲気に浸っていたかったのだけれど、写真は撮らなきゃならない、団扇で蚊を追っ払わなきゃならない、手持ちの水を飲んで水分を補給しなきゃならない、蚊に刺されて脚はモジモジしなきゃならないと忙しくて(笑)。
さて、後はこのまま崖を戻ると大芝生へ、そして岩崎邸の名残の建物のところへ戻ります。この建物は一画が入場する時にチケットを買って団扇を借りた管理室(サービスセンター)で、反対側が資料室になっていて靴を脱いでスリッパに履き替えて入ります。豪華ではないけれど暖炉のある昔ながらの広間(と言っても広くはないけれど)で、室内には写真や資料などが展示されています。このガラス窓を通してみる風景は東京とは思えないやっぱり別荘の風景ですねぇ。
今年5月に国指定の名勝になったけれど、昭和40年代には開発計画で商業地になりそうだったことも。保存を求める住民運動をきっかけとして1974年(昭和49年)に東京都が買収して、その後公園として整備し1979年(昭和 54年)4月に開園したとのこと。いや~、無駄に開発取り壊しされないで良かった。
駅から徒歩3分くらい。こんなに駅チカにこんな庭園があるなんて。庭園は大正2年~4年に江口定條(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年に三菱財閥の岩崎家の別邸となったとのこと。国分寺駅の開業が明治22年らしく、駅前はどこの駅前と同じくビルやお店が建ち並ぶ商業地になっているけれど、当時は崖の上からはのどかな町や村の様子が一望出来たのかもしれないですね。敷地約6000坪、駅至近、湧水と崖付き、段丘の崖にできた谷、武蔵野の自然の地形を利用した別荘かぁ・・・。
別に岩崎家ゆかりの地を訪れているワケではないけれど、東京都の庭園だけでも旧岩崎庭園、六義園、清澄庭園、殿ヶ谷戸庭園が岩崎家の所有だったというのだから、あちこちで岩崎家の足跡を見るような気がするのも納得。
そうそう。入り口で入園料を払うと、「蚊が多いですからそちらの団扇をお使い下さい」とのことで、備え付けられている団扇を1つ拝借。
んー、また蚊。嫌な予感。
ここに来るまで散々刺されて痒いのなんのだから、先に近くで薬局でも探して虫除けスプレーを買ってくるんだった。庭園となればそりゃぁブンブンいますよねぇ・・・。
平日なのでひと気もまばらでいい調子。これだけ駅から近いと地元の方々はいつでも気軽に自然を満喫出来ますね。大名庭園と違って元々が民間人のものだったからでしょうかね、庭園と言ってもかしこまらない感じがします。開けた芝生を眺めながらベンチに座るのも良し、茶室・紅葉亭に腰掛けて崖下の鬱蒼とした緑や池をを眺めるのも良しと、思い思いの場所でくつろげそう。
こんな風に長~い手すりも自前の孟宗竹(多分、笑)。ジェゴグじゃないけれど叩いたら良い音がしそう(笑)。
いいですねぇ、竹。
何でも笹からバンブーまで、竹は赤道を中心に、北・南緯40度の温かくて乾燥していない地域生えていて、その80%はアジア地域に集中しているそう。地図を見ると、ヨーロッパ全土や北米、北アフリカ、オーストラリアなどは生育地域から外れているみたいなんですね。こんな美しいものが生活や文化や風景の中に無いなんて、アジア人である私としてはちょっと想像出来ないけれど、そういう感覚がアジア人なのかも。
一ヶ所にまとまって生えてるボリュームのあるバンブーもいいけれど、一本一本がスーッと伸びて林を作った全体の美しさも好き。
えー、蚊は多いけれど(笑)。
小さな滝があって、その脇をまた少し上がると茶室の紅葉亭、その脇には井戸水を利用した鹿おどし。これがまたいい音が谷に響いて、耳には水や鹿おどしの音、目には鬱蒼とした樹林、赤い金魚の群れとゆらゆらと揺れる水草と、決して明るい場所ではないけれど、目にも耳にも心地よいのです。
紅葉亭の前に腰掛けて、しばし景色を眺めながら雰囲気に浸っていたかったのだけれど、写真は撮らなきゃならない、団扇で蚊を追っ払わなきゃならない、手持ちの水を飲んで水分を補給しなきゃならない、蚊に刺されて脚はモジモジしなきゃならないと忙しくて(笑)。
さて、後はこのまま崖を戻ると大芝生へ、そして岩崎邸の名残の建物のところへ戻ります。この建物は一画が入場する時にチケットを買って団扇を借りた管理室(サービスセンター)で、反対側が資料室になっていて靴を脱いでスリッパに履き替えて入ります。豪華ではないけれど暖炉のある昔ながらの広間(と言っても広くはないけれど)で、室内には写真や資料などが展示されています。このガラス窓を通してみる風景は東京とは思えないやっぱり別荘の風景ですねぇ。
by sohla
| 2011-09-12 02:22
| 東京ココやソコ
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