2011年 09月 03日
国分寺①
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殿ヶ谷戸庭園はまだ行ったことがなく、今年の5月に国指定名勝になったこともあって思い立って「お天気も良いから行ってみよう!」と行くことにしたのですが、どうせ行くならば湧き水や武蔵野らしい風情も満喫しようと、まずは西国分寺から史跡&湧き水に沿って歩いて行き、国分寺に出て殿ヶ谷戸庭園へ。
歩いたルートは↓こんな感じ。要所要所に案内図が出ているものの、別に観光地でもなく普通の住宅地だったりなので、時々案内が手薄(笑)のような感じが・・・。なので、何度か違った方向へ暫らく歩いてしまったりして、結構歩いた気がするんですけれど、でも実際は2、3km弱程度なのかなぁと。
↓Clickで拡大↓ 西国分寺駅から駅近くにしては住宅地のような道を行くと、西国分寺史跡通り住宅を抜ける木々が鬱蒼とした「史跡通り」。通り脇にあるコンクリートのベンチや柵が縄文模様の形になってるー。で、さらに突き当たりの高架になっているところをくぐって普通の住宅地をズンズンと歩いて行くと、その突き当たりには住宅に囲まれるようにしてある小さな公園、「武蔵野台史跡公園」。
公園の一角にはこんな竪穴式敷石住居跡が展示されているんです。へー。この辺りには4000年前も集合住宅があったのですって(但し竪穴式、笑)。
周りは本当に普通の民家が並ぶ住宅街なんですけれど、こうやって縄文時代の住居跡を見ながら暮すって、ちょっと不思議ではあるけれどいいなぁ。
と、この公園がどん詰まりのような感じがしたので、「何となく方向を間違えてる?」ととんでもない方向へ行き過ぎないようにと先ほどの高架のところまでスゴスゴと戻って来てしまったんですけれど、どうやら旧鎌倉街道の切り通しに通じていて、黒鐘公園、国分尼寺跡へ行けたよう。あー、失敗。
それから方向転換をして、と言ってもどの方向へ向かえばいいのか良くわかっていないんですけれど(笑)、とにかく日本名水100選にもなっている湧き水を目指して「お鷹の道」へ行くだろう交差点に"国分寺史跡めぐり"の案内図を発見。
この案内図を頭に入れて何とか行きたいところへ行けそう。私、もしかしたら方向音痴なのかなぁ。
交差点のこの案内図からお鷹の道方面とは反対の方向に、だだっ広い真っ直ぐな道があるんですが、「何でこの道だけやけに道幅が広くて真っ直ぐなんだろうなー」と思ったら、この道は東山道武蔵路跡といって上野国(今の群馬県)と武蔵国を結ぶ約1300年前に造られた古代の道路で国の史跡だそう。へー(こればっかり、笑)。
東山道は近江・奈良・京都の都から関東に通じる道で、上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県)を通って武蔵国(埼玉県と東京都及び神奈川県の一部)を抜け、相模国へと通じていた当時の幹線道路。江戸時代の中山道の元となったのがこの道とのこと。一画には発掘当時の東山道の姿のレプリカも展示されていて、発掘された遺跡を埋め戻したあとの跡地が歩道になっているのですって。
そうだったのね、ちゃんと後戻りして見て来るんだった。
本当にこの道でいいのかいな?と思いながら歩いていると、左手に鬱蒼とした木々の中に神社があって、一応足を踏み入れたものの、あまりの人けのなさに何となく怖くなって本殿を遠くから眺めてとっととUターン(笑)。そしてしばらく行くとひっそりと石段があって、そこを登って行くと国分寺の仁王門、その先は薬師堂。
この少し登って木々が鬱蒼としたところがまさに国分寺崖線のハケにあたる部分。昨日の航空写真で木がこんもりしているところですね。しかし・・・8月の最後とは言え平日のせいか、人っ子一人いない古いお寺ってちょっと鳥肌が。たまたまこの時は境内に植木職人さんだか工事だかが入っていて機械の音がブーンとしていたけれど、それがなかったら怖いなぁ。と言ってもこの仁王門をくぐった先は、何となく足が進まず先を見渡してまたUターンして来てしまったんですけれど(笑)。その先には国指定文化財の木造薬師如来坐像が安置されている(普段は非公開)薬師堂があったのですけれどね。
この薬師如来坐像は毎年10月10日にご開帳法要が行われ、その際に一般公開されるそうなので、その時に行って見ようかな。
ところで、この仁王門をくぐるところに手書きで「ハチの巣に注意」と大きく張り紙がしてあるのです(えーっ、泣)。それだけでこの門を通るのにドキドキというかびくびく。幸いハチには刺されなかったけれど、ここにいた数分で、一瞬にして膝から下、首筋、腕、足の甲まで露出しているところひと夏分の蚊に刺されました。 うー、これも夏の体験。
そしてまた少し先へ行くと国分寺の門前にはひょっこりと楼門が。何でも米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものだそうで、奥に見えるのが現存する国分寺(古代の武蔵国分寺は礎しか残っていないが国指定の史跡でこの国分寺とは別)。
この先から崖線下の湧水が流れる清流沿いの遊歩道として整備された小径「お鷹の道」が始まるんですが、いぁやのどかで時間がまったり。
ハケを背にしてお寺があり仏様や神様がいて、道端にはどなたか一族のらしきお墓が並び、どこから敷地でどこまでが道なのかわからない農家、道の二股には大きな木があり、ジージーと虫が鳴き、小川が流れ人の姿は少なく・・・う~ん、道は舗装されているものの、これが土や砂利の道で、ピンジャカン(竹鳴子)の乾いた音が聞こえて来たら、バリ島のフツーの素朴な村の光景と同じだなーと思ったのでした。
ふむ。この日より前の土曜日に青梅あたりへ行った時も、実はそう感じたのですよね。
ちょっと見難いかもしれないけれど、奥にはハケ、そのキワに国分寺、手前に楼門、その奥~に小さく見えるのが道端のお墓。何か、生活と自然と信仰と歴史と、色々なものが隔たりなく一緒に存在しているようで、穏やかな景色ですね。本当に何でもない景色なのですけれどもね。
ふ~っ、暑い暑い。でも最高ー。
行き当たりばったりに来てしまったので、実は見ずに通り過ぎてしまった場所も沢山あったり、行ってもじっくりと見なかったりして、今度は散策マップを片手にまたこの辺りを歩いてみたいと思っているのです。欲を言えば国分寺から武蔵小金井、東小金井とさらにハケの道を。
さて、お次はいよいよお鷹の道と真姿の池湧水群へ。
歩いたルートは↓こんな感じ。要所要所に案内図が出ているものの、別に観光地でもなく普通の住宅地だったりなので、時々案内が手薄(笑)のような感じが・・・。なので、何度か違った方向へ暫らく歩いてしまったりして、結構歩いた気がするんですけれど、でも実際は2、3km弱程度なのかなぁと。
公園の一角にはこんな竪穴式敷石住居跡が展示されているんです。へー。この辺りには4000年前も集合住宅があったのですって(但し竪穴式、笑)。
周りは本当に普通の民家が並ぶ住宅街なんですけれど、こうやって縄文時代の住居跡を見ながら暮すって、ちょっと不思議ではあるけれどいいなぁ。
と、この公園がどん詰まりのような感じがしたので、「何となく方向を間違えてる?」ととんでもない方向へ行き過ぎないようにと先ほどの高架のところまでスゴスゴと戻って来てしまったんですけれど、どうやら旧鎌倉街道の切り通しに通じていて、黒鐘公園、国分尼寺跡へ行けたよう。あー、失敗。
それから方向転換をして、と言ってもどの方向へ向かえばいいのか良くわかっていないんですけれど(笑)、とにかく日本名水100選にもなっている湧き水を目指して「お鷹の道」へ行くだろう交差点に"国分寺史跡めぐり"の案内図を発見。
この案内図を頭に入れて何とか行きたいところへ行けそう。私、もしかしたら方向音痴なのかなぁ。
交差点のこの案内図からお鷹の道方面とは反対の方向に、だだっ広い真っ直ぐな道があるんですが、「何でこの道だけやけに道幅が広くて真っ直ぐなんだろうなー」と思ったら、この道は東山道武蔵路跡といって上野国(今の群馬県)と武蔵国を結ぶ約1300年前に造られた古代の道路で国の史跡だそう。へー(こればっかり、笑)。
東山道は近江・奈良・京都の都から関東に通じる道で、上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県)を通って武蔵国(埼玉県と東京都及び神奈川県の一部)を抜け、相模国へと通じていた当時の幹線道路。江戸時代の中山道の元となったのがこの道とのこと。一画には発掘当時の東山道の姿のレプリカも展示されていて、発掘された遺跡を埋め戻したあとの跡地が歩道になっているのですって。
そうだったのね、ちゃんと後戻りして見て来るんだった。
この少し登って木々が鬱蒼としたところがまさに国分寺崖線のハケにあたる部分。昨日の航空写真で木がこんもりしているところですね。しかし・・・8月の最後とは言え平日のせいか、人っ子一人いない古いお寺ってちょっと鳥肌が。たまたまこの時は境内に植木職人さんだか工事だかが入っていて機械の音がブーンとしていたけれど、それがなかったら怖いなぁ。と言ってもこの仁王門をくぐった先は、何となく足が進まず先を見渡してまたUターンして来てしまったんですけれど(笑)。その先には国指定文化財の木造薬師如来坐像が安置されている(普段は非公開)薬師堂があったのですけれどね。
この薬師如来坐像は毎年10月10日にご開帳法要が行われ、その際に一般公開されるそうなので、その時に行って見ようかな。
ところで、この仁王門をくぐるところに手書きで「ハチの巣に注意」と大きく張り紙がしてあるのです(えーっ、泣)。それだけでこの門を通るのにドキドキというかびくびく。幸いハチには刺されなかったけれど、ここにいた数分で、一瞬にして膝から下、首筋、腕、足の甲まで露出しているところひと夏分の蚊に刺されました。 うー、これも夏の体験。
そしてまた少し先へ行くと国分寺の門前にはひょっこりと楼門が。何でも米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものだそうで、奥に見えるのが現存する国分寺(古代の武蔵国分寺は礎しか残っていないが国指定の史跡でこの国分寺とは別)。
この先から崖線下の湧水が流れる清流沿いの遊歩道として整備された小径「お鷹の道」が始まるんですが、いぁやのどかで時間がまったり。
ハケを背にしてお寺があり仏様や神様がいて、道端にはどなたか一族のらしきお墓が並び、どこから敷地でどこまでが道なのかわからない農家、道の二股には大きな木があり、ジージーと虫が鳴き、小川が流れ人の姿は少なく・・・う~ん、道は舗装されているものの、これが土や砂利の道で、ピンジャカン(竹鳴子)の乾いた音が聞こえて来たら、バリ島のフツーの素朴な村の光景と同じだなーと思ったのでした。
ふむ。この日より前の土曜日に青梅あたりへ行った時も、実はそう感じたのですよね。
ちょっと見難いかもしれないけれど、奥にはハケ、そのキワに国分寺、手前に楼門、その奥~に小さく見えるのが道端のお墓。何か、生活と自然と信仰と歴史と、色々なものが隔たりなく一緒に存在しているようで、穏やかな景色ですね。本当に何でもない景色なのですけれどもね。
ふ~っ、暑い暑い。でも最高ー。
行き当たりばったりに来てしまったので、実は見ずに通り過ぎてしまった場所も沢山あったり、行ってもじっくりと見なかったりして、今度は散策マップを片手にまたこの辺りを歩いてみたいと思っているのです。欲を言えば国分寺から武蔵小金井、東小金井とさらにハケの道を。
さて、お次はいよいよお鷹の道と真姿の池湧水群へ。
by sohla
| 2011-09-03 01:18
| 東京ココやソコ
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