2010年 11月 21日
横浜中華街
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聘珍樓エントランスのクリスマス・デコレーション。さすがその辺りの中華料理屋さんの古典的な中華風装飾とは違った感じ。
知人が広島から来ていて宿泊先が関内だったので中華街をブラブラと散歩して来ました。別に食事をしようというワケでもなし、穴場を知ってるワケでもなし、店に入って冷やかすでもなし、本当に通りを流して歩いただけ。
考えてみると横浜の中華街を流して歩いただけにしろこうやって歩いたのは20数年振りという気が(笑)。当時は当然ながらみなとみらい線も湘南新宿ラインも当然なく、東京から横浜は物理的にも気持ち的にも遠いなぁという感じだったのだけれど、近年は随分と近くなりました。あ、前にもそんなこと呟きましたが。
相変わらず観光客で賑わっていて、そこここで食べ歩きに豚まんどーぞと店先でホカホカしてるし、季節なのか甘栗の試食押し売り・・・いや販売も盛ん(笑)。「どの店も甘栗売ってるし、(試食してみろと差し出されて)No, thank you.って言ってるっつーに」と知人。店先での押し売り・・・いや販売や客引き呼び込みは昔はそんなになかったような、もしかしたら気にもしなかっただけなのか、年齢的にそういうのが鬱陶しくなったのか。
「今なら半額よ~」とか「いつもは1袋のお値段で2袋分、今日は1袋のお値段で3袋分!」なんて、3袋分を1袋にザザザッなんてやってたけど、元々1袋が超少なくて3袋分でやっと金額に見合う妥当な量じゃない?新宿の駅あたりで買っても同じそう・・・なんて横目で見てたのだけれど、そういう見方してたら夢がないかもしれないですけどね(笑)。
そう言えば、新潟には「中国の狙う新潟での大中華街構想」もあるとか。
最近閉店した百貨店跡地って、街の外れとかじゃなくてど真ん中の一等地。とは言え老舗の百貨店が閉店したりすっかり空洞化しているらしく、'新潟中心商店街協議会の役員は、篠田昭・新潟市長に古町への中華街設置要望書を提出した'なんて、洒落にもならない嘘のような話し。呆れたもんだ、新潟の商店街協議会役員。ふふん、コチラの話しはどうやら棚上げになったよう。私が住んでいた頃も「環日本海」とか盛んに言っていた気がするけれど、右も左も朝鮮人だの中国人だのになったら何しろ繁殖力が強いので大変なのに。
こちらは媽祖廟(まそびょう)というらしく、2006年に開廟とのこと。通りも店もこういった廟も夜になると一層ハデハデになってネオンが綺麗。う~ん、まさにチャイナタウン。
「尖閣諸島の船の追突事件と言い、何で中国はああ攻撃的というか威圧的というか強引なんだろう?」「国の素質、タチなんだろう」とか「お付き合いするには忍耐が必要」「でもそんな関係嫌だよね」みたいな話しをしながら中華街を歩く私たち。そしてせっかく中華街に来たのに中華料理を食べずに居酒屋へ(笑)。知人は月に2回ほどこちらで開かれる会議のために上京しているらしいので、次回は東京で会いましょうということに。
帰りはJR宇都宮線大宮駅で夕方にあった人身事故の影響をモロに受けて、新宿駅でも全線運転を見合わせているとかで、湘南新宿ラインが新宿目前の原宿・代々木辺りで停止。う~ん、平行して走ってる山手線などはビュンビュン新宿へ向かって走ってるのに、こちらは立ち往生とは。JRって線によってはとんでもなく離れた場所の事故がとんでもなく離れたところで影響したりして、「あ~、この路線はあっちまで繋がっていたんだな」とか「路線を共用してたんだっけ」などと改めて思い出したり。
ふぅ、それほど長い時間立ち往生していた訳ではないけれど、横浜駅から座れたのがラッキー。晩になるとちょっと気温が下がったけれど、日中は風もなく暖かで散歩日和でした。
あ、そうそう。
関内から中華街へ向かう途中だったか、多分15:00過ぎ頃だったと思うのだけれど、いきなり爆音と共に4-5機の飛行機が綺麗な飛行機雲を残しながら頭上を飛んで行ったにはびっくり。「あれは米軍じゃなくて自衛隊の飛行機かな?どこか近くで航空ショーがあるのかな?航空ショー大好き!」と知人。「私も一度は見てみたい!」「いつか行こう、行こう!」と2人で盛り上がる(笑)。
どうやら横須賀の防衛大学校でこの週末に開校記念祭が行われていて、その祝賀飛行でブルーインパルスが祝賀飛行する明日の予行だった模様。うはー、かっこいいーっ。
商売っ気がないように見えて、そもそも営業してるんだかしてないんだかという感じだけれど、強烈に惹かれる「安楽園」の佇まい。1つもキンキラしていなくて素っ気ないところがこの界隈では逆に不思議、でも惹かれる・・・。
知人が広島から来ていて宿泊先が関内だったので中華街をブラブラと散歩して来ました。別に食事をしようというワケでもなし、穴場を知ってるワケでもなし、店に入って冷やかすでもなし、本当に通りを流して歩いただけ。
考えてみると横浜の中華街を流して歩いただけにしろこうやって歩いたのは20数年振りという気が(笑)。当時は当然ながらみなとみらい線も湘南新宿ラインも当然なく、東京から横浜は物理的にも気持ち的にも遠いなぁという感じだったのだけれど、近年は随分と近くなりました。あ、前にもそんなこと呟きましたが。
相変わらず観光客で賑わっていて、そこここで食べ歩きに豚まんどーぞと店先でホカホカしてるし、季節なのか甘栗の試食押し売り・・・いや販売も盛ん(笑)。「どの店も甘栗売ってるし、(試食してみろと差し出されて)No, thank you.って言ってるっつーに」と知人。店先での押し売り・・・いや販売や客引き呼び込みは昔はそんなになかったような、もしかしたら気にもしなかっただけなのか、年齢的にそういうのが鬱陶しくなったのか。
「今なら半額よ~」とか「いつもは1袋のお値段で2袋分、今日は1袋のお値段で3袋分!」なんて、3袋分を1袋にザザザッなんてやってたけど、元々1袋が超少なくて3袋分でやっと金額に見合う妥当な量じゃない?新宿の駅あたりで買っても同じそう・・・なんて横目で見てたのだけれど、そういう見方してたら夢がないかもしれないですけどね(笑)。
そう言えば、新潟には「中国の狙う新潟での大中華街構想」もあるとか。
最近閉店した百貨店跡地って、街の外れとかじゃなくてど真ん中の一等地。とは言え老舗の百貨店が閉店したりすっかり空洞化しているらしく、'新潟中心商店街協議会の役員は、篠田昭・新潟市長に古町への中華街設置要望書を提出した'なんて、洒落にもならない嘘のような話し。呆れたもんだ、新潟の商店街協議会役員。ふふん、コチラの話しはどうやら棚上げになったよう。私が住んでいた頃も「環日本海」とか盛んに言っていた気がするけれど、右も左も朝鮮人だの中国人だのになったら何しろ繁殖力が強いので大変なのに。
こちらは媽祖廟(まそびょう)というらしく、2006年に開廟とのこと。通りも店もこういった廟も夜になると一層ハデハデになってネオンが綺麗。う~ん、まさにチャイナタウン。
「尖閣諸島の船の追突事件と言い、何で中国はああ攻撃的というか威圧的というか強引なんだろう?」「国の素質、タチなんだろう」とか「お付き合いするには忍耐が必要」「でもそんな関係嫌だよね」みたいな話しをしながら中華街を歩く私たち。そしてせっかく中華街に来たのに中華料理を食べずに居酒屋へ(笑)。知人は月に2回ほどこちらで開かれる会議のために上京しているらしいので、次回は東京で会いましょうということに。
帰りはJR宇都宮線大宮駅で夕方にあった人身事故の影響をモロに受けて、新宿駅でも全線運転を見合わせているとかで、湘南新宿ラインが新宿目前の原宿・代々木辺りで停止。う~ん、平行して走ってる山手線などはビュンビュン新宿へ向かって走ってるのに、こちらは立ち往生とは。JRって線によってはとんでもなく離れた場所の事故がとんでもなく離れたところで影響したりして、「あ~、この路線はあっちまで繋がっていたんだな」とか「路線を共用してたんだっけ」などと改めて思い出したり。
ふぅ、それほど長い時間立ち往生していた訳ではないけれど、横浜駅から座れたのがラッキー。晩になるとちょっと気温が下がったけれど、日中は風もなく暖かで散歩日和でした。
あ、そうそう。
関内から中華街へ向かう途中だったか、多分15:00過ぎ頃だったと思うのだけれど、いきなり爆音と共に4-5機の飛行機が綺麗な飛行機雲を残しながら頭上を飛んで行ったにはびっくり。「あれは米軍じゃなくて自衛隊の飛行機かな?どこか近くで航空ショーがあるのかな?航空ショー大好き!」と知人。「私も一度は見てみたい!」「いつか行こう、行こう!」と2人で盛り上がる(笑)。
どうやら横須賀の防衛大学校でこの週末に開校記念祭が行われていて、その祝賀飛行でブルーインパルスが祝賀飛行する明日の予行だった模様。うはー、かっこいいーっ。
by sohla
| 2010-11-21 02:47
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