2010年 07月 03日
チベット砂曼荼羅の世界
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今日は6/29から相田みつを美術館 第2ホールで行われている、ダライ・ラマ法王生誕75年 祝賀特別記念行事「チベット砂曼荼羅の世界」へ。
いつ行こうかなと思いながらも先週は何となく行けず、昨日の金曜日にでもと思っていたけれどそれも用事で行けず、あ!と思ったらもう残り2日。明日の最終日の開眼法要と破壇式は混むだろうな~ということで、今日取り急ぎ行って来ました。チベット砂曼荼羅は大本山護国寺でライブパフォーマンスを見て今回は4年振り2回目。相田みつを美術館がある国際フォーラムに行ったのは初めて(笑)。そう言えば、去年だったかは近所の常圓寺が会場だったような。
美術館のホールということで、決して充分な広さではないけれど設備は整っているんでしょうかね、会場の一画ではチベット仏教関係?(1分くらいしか見なかったので内容はわからないんですが)のビデオが放映されていたり、砂曼荼羅を制作している奥の部屋まで行く順路にはチベットの写真が飾られていたり、また制作の様子を真上から映した映像が別の場所に映し出されるようになっていたりしてました。
順序をクネクネ進んで行って、お坊さん達が砂曼荼羅を公開制作している様子はこんな感じ。
前は写真撮影はダメだったので、今回は写真を撮ってる人がいてちょっとびっくり。正面にはダライラマ法王の写真を掲げた祭壇もあります。生きている方の写真を祭壇に掲げてお供え物やお線香をあげて祀るのは、何となく私的には馴染みがないのだけれど、法王は観音菩薩の化身とされているのだからそうされて当たり前なのでしょうかね、'生きている方'なんて言い方はちょっと俗っぽいですね。
長さ20~30cmほどの砂が入った細長い円錐形の道具を、別の棒でギッギッと擦り振動させて砂を落として行く、そのギッギッという音だけが部屋に響いてます。
写真左は一番外側の煩悩を焼き尽くす「炎」を、右は最も固く鋭い宝石のダイヤモンドを意味し「方便(慈悲)」を象徴して煩悩やあらゆる物体を打ち砕くパワーを持つ法具の「金剛杵」を描いているところ。今回の曼荼羅は3層の宮殿に117の神が住むものということです。こういうチベット仏教の説法や曼荼羅の解説も1時間半にわたって高層から聞くことができ、また質疑応答の機会も設けてありました。↓説法の様子
えー、30cm角ぐらいのミニミニ座布団を床に敷き詰めて、スシ詰め状態で拝聴。体や足の関節が硬いジーンズもきついし正座は辛いから胡坐をかいてたんですが、お尻も痛くなる脚も痛くなる、長くもないのに折り畳めない足が邪魔(笑)。その後続けて30分ほどの声明があり、立てるかしらん?とちょっと不安に。でも何とか平気でした~。
公開制作をしているお部屋の片隅では、その時は作業していない椅子に座っていたお坊さんが身振り手振りで即席砂曼荼羅描き方教室を(笑)。背筋を伸ばして正座した女の子がギッギッと見よう見まねでやり始め、結構難しそう。
お坊さんがサンプルとしてチョチョッと描いたのが、↓のJAPANとか金剛杵。砂が入った細長い円錐形の道具の傾け具合なのか、擦り具合なのか、何なのか、パラパラとは砂が散ってもはっきりとは描けないみたいなんですね。そう言えば、4年前の時も僧侶が小さな男の子に教えたり、メモを書いたりして意思の疎通をしていましたっけ。でも、僧侶の皆さんは基本的には黙々と制作していて、話しても僧侶同士なのでチベット語だと思うんですが、でも英語もお出来になるようですね。
さすがに僧侶の隣に座って覗き込むわけにはいかないので曼荼羅の細かいところは見えないので、デジカメのズーム機能を望遠鏡代わりにして見たり、部屋を巡って色々な方向から見たりしてました。ダライラマ法王の写真が掲げられた祭壇の脇に、どこか他で完成させた砂曼荼羅の写真があったので顔を近づけてジッと見ていると、背後で何か話す声が・・・。と顔を上げるとさっき女の子に砂曼荼羅を教えていた僧侶が、いつのまにか私の背後に立っていて何か話してるーっ。
写真を指して、
「ゼンゴジ?」
「ジェン・・・?」
「ゼンコジ?」
むむ、何だろう?わからん!仏様の名前か?どうする?と首を捻って何度も聞き返していたら閃きました。
「あっ!ゼンコウジ(善光寺)!」
思わず「あぁ、ダライラマが先月来日した時の!」と言って、(わかったわかった!と)その僧侶の肩をバシバシと叩きたい衝動に駆られましたけど、そんなことはいたしませんでした(笑)。
そうそう、先月ダライラマが来日されて善光寺へ行かれた時に制作した砂曼荼羅の写真だそうですよ。わざわざジッと見てる私のとこまでそれを説明しに来たってことは、説明したくなるほど会心の出来だったのではないでしょうかね。確かに見入ってしまうほど素晴らしかったです。ダライ・ラマ法王14世の来日に合わせ、一足先に来日して2週間かけて制作していたそうなので、そういう意味では思い入れもひとしおなのかもしれないですね。
善光寺で制作したのは6mぐらいの大きさで、日数は10日ほど掛かったそう。っておっしゃってましたけど、善光寺のHPを見るとさすがに6mはなさそうです・・・(笑)。曼荼羅の中央に描かれる本尊も今回は大日如来だけれど、善光寺では阿弥陀如来だったそう(その時、阿弥陀如来とは言ってなくて他の言葉を言ってたんですが、善光寺のHPを見たら阿弥陀如来でした)。このお坊さん方はもう1ヶ月以上も日本に滞在してるんですね。
そう言えば、先日来日していたスーザンが、「ダライラマが今来日してるでしょう?6/25に韓国を出発した時、日本へ向かう韓国の僧侶の団体と飛行機が一緒だった」って言ってました。皆あの法衣を着ていて凄い人数だったと。
ホールの一画にはちょっとしたカフェとグッズを売るショップが併設されてます。何でも、今回来日した10名の僧侶は南インドのタシルンポ僧院の僧侶ということで、この寺院は元々はチベットにあるチベット四大僧院の一つで、
"僧侶数は1959年には5,000人に達し、国外の系列の僧侶も2,000人を数えていたが、中国のチベット侵攻以来、多くの僧侶は殺害あるいは投獄され、ダライ・ラマ法王に従って亡命することができた僧侶は僅か250人。また、長い期間に渡って僧院は破壊され、数多くの貴重な経典、仏像、仏画が失われた。1972年、タシルンポ僧院はダライ・ラマ法王14世の支援により、南インドのカルナータカ州に再建されたが、タシルンポ僧院は再建された僧院の中でも最も貧しい僧院の一つ。"
僧侶が一同に介して祈りを捧げる建物もないとのこと。何と罰当たりなことか、中国は。このショップやカフェは在日チベット人によるもので、売り上げはお布施としてタシルンポ僧院に・・・ということなので、私もささやかですがチベットのお守りを1つだけ購入(笑)。お正月に行った’中国が見せたい'ポタラ宮と天空の至宝展に出ていたショップは、ちょっとちょっとどこの商売人?ってな感じだったので何も買わなかったんですけれども、今回は加害者の中国は関係していないので安心です(笑)。
高僧による説法の時、砂曼荼羅はあくまでもチベット仏教の経典に沿って決められた通りに行っているもので、僧侶の考えで作っているわけではない。なので、制作する方も「正しい心構え」で制作するので、見る方々も「正しい心構え」を持って見て欲しい。目で見ると平面的だけれども、どうぞ3層になった立体的な宮殿を思い浮かべて見て下さい。芸術だと思って見ないで欲しい、と。「正しい心構え」とは何かと質問した方がいたんですが、それは人の役に立つように、仏の境地になれるようにと願うこと、というようなお話しをされてました。
ふむ。
僧侶たちは確かに芸術家ではないので、芸術としてこの砂曼荼羅と向き合っているわけではは全くないだろうけれど、最終的に出来上がったもの(目に見えるもの)は、芸術作品ではないかもしれないけれど、芸術的。
という表面的なことに目が行っているうちは、まだ正しい心構えが備わってないっつーことですな(笑)。
←このお坊様、善光寺の砂曼荼羅のことを教えて下さってありがとうございました(あ、因みに写真に写っている女性は私ではありません、笑)。あーでもないこーでもないと見ていましたけれども、彼ら僧侶たちの置かれている境遇や状況や歴史を考えた時、ズシンと心に来るというか、考えてしまいますね。こちらもそれなりに真摯な心で向き合わなければ、と。日本のお坊さんを見てもそんなことはチラリとも思わないのに、どうしてでしょうかねぇ。
いつ行こうかなと思いながらも先週は何となく行けず、昨日の金曜日にでもと思っていたけれどそれも用事で行けず、あ!と思ったらもう残り2日。明日の最終日の開眼法要と破壇式は混むだろうな~ということで、今日取り急ぎ行って来ました。チベット砂曼荼羅は大本山護国寺でライブパフォーマンスを見て今回は4年振り2回目。相田みつを美術館がある国際フォーラムに行ったのは初めて(笑)。そう言えば、去年だったかは近所の常圓寺が会場だったような。
美術館のホールということで、決して充分な広さではないけれど設備は整っているんでしょうかね、会場の一画ではチベット仏教関係?(1分くらいしか見なかったので内容はわからないんですが)のビデオが放映されていたり、砂曼荼羅を制作している奥の部屋まで行く順路にはチベットの写真が飾られていたり、また制作の様子を真上から映した映像が別の場所に映し出されるようになっていたりしてました。
順序をクネクネ進んで行って、お坊さん達が砂曼荼羅を公開制作している様子はこんな感じ。
前は写真撮影はダメだったので、今回は写真を撮ってる人がいてちょっとびっくり。正面にはダライラマ法王の写真を掲げた祭壇もあります。生きている方の写真を祭壇に掲げてお供え物やお線香をあげて祀るのは、何となく私的には馴染みがないのだけれど、法王は観音菩薩の化身とされているのだからそうされて当たり前なのでしょうかね、'生きている方'なんて言い方はちょっと俗っぽいですね。
写真左は一番外側の煩悩を焼き尽くす「炎」を、右は最も固く鋭い宝石のダイヤモンドを意味し「方便(慈悲)」を象徴して煩悩やあらゆる物体を打ち砕くパワーを持つ法具の「金剛杵」を描いているところ。今回の曼荼羅は3層の宮殿に117の神が住むものということです。こういうチベット仏教の説法や曼荼羅の解説も1時間半にわたって高層から聞くことができ、また質疑応答の機会も設けてありました。↓説法の様子
公開制作をしているお部屋の片隅では、その時は作業していない椅子に座っていたお坊さんが身振り手振りで即席砂曼荼羅描き方教室を(笑)。背筋を伸ばして正座した女の子がギッギッと見よう見まねでやり始め、結構難しそう。
さすがに僧侶の隣に座って覗き込むわけにはいかないので曼荼羅の細かいところは見えないので、デジカメのズーム機能を望遠鏡代わりにして見たり、部屋を巡って色々な方向から見たりしてました。ダライラマ法王の写真が掲げられた祭壇の脇に、どこか他で完成させた砂曼荼羅の写真があったので顔を近づけてジッと見ていると、背後で何か話す声が・・・。と顔を上げるとさっき女の子に砂曼荼羅を教えていた僧侶が、いつのまにか私の背後に立っていて何か話してるーっ。
写真を指して、
「ゼンゴジ?」
「ジェン・・・?」
「ゼンコジ?」
むむ、何だろう?わからん!仏様の名前か?どうする?と首を捻って何度も聞き返していたら閃きました。
「あっ!ゼンコウジ(善光寺)!」
思わず「あぁ、ダライラマが先月来日した時の!」と言って、(わかったわかった!と)その僧侶の肩をバシバシと叩きたい衝動に駆られましたけど、そんなことはいたしませんでした(笑)。
そうそう、先月ダライラマが来日されて善光寺へ行かれた時に制作した砂曼荼羅の写真だそうですよ。わざわざジッと見てる私のとこまでそれを説明しに来たってことは、説明したくなるほど会心の出来だったのではないでしょうかね。確かに見入ってしまうほど素晴らしかったです。ダライ・ラマ法王14世の来日に合わせ、一足先に来日して2週間かけて制作していたそうなので、そういう意味では思い入れもひとしおなのかもしれないですね。
善光寺で制作したのは6mぐらいの大きさで、日数は10日ほど掛かったそう。っておっしゃってましたけど、善光寺のHPを見るとさすがに6mはなさそうです・・・(笑)。曼荼羅の中央に描かれる本尊も今回は大日如来だけれど、善光寺では阿弥陀如来だったそう(その時、阿弥陀如来とは言ってなくて他の言葉を言ってたんですが、善光寺のHPを見たら阿弥陀如来でした)。このお坊さん方はもう1ヶ月以上も日本に滞在してるんですね。
そう言えば、先日来日していたスーザンが、「ダライラマが今来日してるでしょう?6/25に韓国を出発した時、日本へ向かう韓国の僧侶の団体と飛行機が一緒だった」って言ってました。皆あの法衣を着ていて凄い人数だったと。
ホールの一画にはちょっとしたカフェとグッズを売るショップが併設されてます。何でも、今回来日した10名の僧侶は南インドのタシルンポ僧院の僧侶ということで、この寺院は元々はチベットにあるチベット四大僧院の一つで、
"僧侶数は1959年には5,000人に達し、国外の系列の僧侶も2,000人を数えていたが、中国のチベット侵攻以来、多くの僧侶は殺害あるいは投獄され、ダライ・ラマ法王に従って亡命することができた僧侶は僅か250人。また、長い期間に渡って僧院は破壊され、数多くの貴重な経典、仏像、仏画が失われた。1972年、タシルンポ僧院はダライ・ラマ法王14世の支援により、南インドのカルナータカ州に再建されたが、タシルンポ僧院は再建された僧院の中でも最も貧しい僧院の一つ。"
僧侶が一同に介して祈りを捧げる建物もないとのこと。何と罰当たりなことか、中国は。このショップやカフェは在日チベット人によるもので、売り上げはお布施としてタシルンポ僧院に・・・ということなので、私もささやかですがチベットのお守りを1つだけ購入(笑)。お正月に行った’中国が見せたい'ポタラ宮と天空の至宝展に出ていたショップは、ちょっとちょっとどこの商売人?ってな感じだったので何も買わなかったんですけれども、今回は加害者の中国は関係していないので安心です(笑)。
高僧による説法の時、砂曼荼羅はあくまでもチベット仏教の経典に沿って決められた通りに行っているもので、僧侶の考えで作っているわけではない。なので、制作する方も「正しい心構え」で制作するので、見る方々も「正しい心構え」を持って見て欲しい。目で見ると平面的だけれども、どうぞ3層になった立体的な宮殿を思い浮かべて見て下さい。芸術だと思って見ないで欲しい、と。「正しい心構え」とは何かと質問した方がいたんですが、それは人の役に立つように、仏の境地になれるようにと願うこと、というようなお話しをされてました。
ふむ。
僧侶たちは確かに芸術家ではないので、芸術としてこの砂曼荼羅と向き合っているわけではは全くないだろうけれど、最終的に出来上がったもの(目に見えるもの)は、芸術作品ではないかもしれないけれど、芸術的。
という表面的なことに目が行っているうちは、まだ正しい心構えが備わってないっつーことですな(笑)。
←このお坊様、善光寺の砂曼荼羅のことを教えて下さってありがとうございました(あ、因みに写真に写っている女性は私ではありません、笑)。あーでもないこーでもないと見ていましたけれども、彼ら僧侶たちの置かれている境遇や状況や歴史を考えた時、ズシンと心に来るというか、考えてしまいますね。こちらもそれなりに真摯な心で向き合わなければ、と。日本のお坊さんを見てもそんなことはチラリとも思わないのに、どうしてでしょうかねぇ。
by sohla
| 2010-07-03 23:39
| みる・きく・かんがえる
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Comments(2)
Commented
by
Sari
at 2010-07-05 18:14
x
こちらで読むまでは全く知りませんでした(汗)
最終日に行くぞ!と思ったのですが、沈没・・・
NHKあたりでニューに取り上げてくれればいいのに(;;)
最終日に行くぞ!と思ったのですが、沈没・・・
NHKあたりでニューに取り上げてくれればいいのに(;;)
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Commented
by
sohla at 2010-07-05 22:33
>Sariさん、
来年またどこかでやるはずなので、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHP:http://www.tibethouse.jp/home.htmlを時々チェックです。私もダライラマ→来日→どこかで講演するだろう→そう言えば砂曼荼羅・・・みたいな連想ゲームで、何週間か前にたまたまスケジュールをカレンダーに書き込んでおいたんです。
今月は、あと明日から文化服装学園服飾博物館で「世界の更紗」、今週末は代々木公園で「インドネシア・フェスティバル2010」と、カレンダーに書き込んであります(笑)。
来年またどこかでやるはずなので、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHP:http://www.tibethouse.jp/home.htmlを時々チェックです。私もダライラマ→来日→どこかで講演するだろう→そう言えば砂曼荼羅・・・みたいな連想ゲームで、何週間か前にたまたまスケジュールをカレンダーに書き込んでおいたんです。
今月は、あと明日から文化服装学園服飾博物館で「世界の更紗」、今週末は代々木公園で「インドネシア・フェスティバル2010」と、カレンダーに書き込んであります(笑)。