2008年 01月 28日
1998年5月の辞任演説で「過去に過ちがあったとしたら許してほしい」と言うスハルトを、「何を今更ヌケヌケと。改心した訳でもあるまいし」という腹立ちと、「数十年に渡って顔で笑って腕で押え付けてきた国民に命乞いをしているのか、いやいや単に退任後を見越して心にもないことを言っているだけなんだろう」という疑念と、そして「とにかくやっとやっとスハルトの時代が終わったんだ」という喜びとが入り混じった気持ちで見ていたのを覚えてます。
「スハルトが生きている限りは政権を譲らないだろうし何も変らない。だから自分達の様な貧乏人はスハルトが死ぬのをただ待つだけ」
と、友人が声を潜めて話すのを聞いて何とも暗澹たる気持ちになったんですが、まさかその後スハルト退陣、民主化を堂々と声を上げて要求する流れが起こるとは、その時は想像もつかなかったです。国民が政治に対する不満を堂々と口に出して言う、ましてやデモや反政府的な集会なんて有り得なかったし、それ以前に自分達の力ではどうにもならない世界の話と諦め切っていた雰囲気でしたから。
スハルトの退陣は多くの人達にとって口に出せない思い、恩恵を被って甘い汁を吸い続けていた人達にとっては悪夢。賄賂はインドネシアの文化だとどこかで読んだことがあるけれど、日本の企業なども随分と事業の為に袖の下をつぎ込んで、スハルトの不正蓄財に貢献していたんじゃないでしょうかね。
今年になってだったか、スハルトが危篤だというニュースが伝えられ、色々な器具に囲まれ、娘のSitiや医者に囲まれて横たわるスハルトの写真を見た時、「あの国では満足な治療が受けられないどころか、病院にさえいけなくて亡くなって行く人がまだまだいる中で、スハルトの様に80歳過ぎまで生きることができて(平均寿命は66歳あたりだったかと)、これだけの医療(恐らく日本と比べると気休め程度かもしれないが)を受けているのを見ると、軽い命・重い命があるのよね。そしてやっぱりそれもお金次第・・・」っていう光景を見ているようでしたね。
まぁ、その人生でどんなに不正蓄財で世界有数の資産家になっても、どんなに嘘をついても多くの人の命を奪っても、またそれを何一つ認めなくても、人の命には変わりなく、出来るだけの手を尽くすのが普通なのだろうけれど、どうにもやっぱり腑に落ちないというか何だかね。
スハルトの功罪というけれど、功なんてあったんだろうか。「120人のスハルト一族をとるのか、二億人の国民をとるのか」ということもどこかで読んだけれど、少なくとも一般の人達は不幸だった、120人の為だけの国だったような気がするのだけれど。それでも、スハルト回顧主義みたいなあの時代を懐かしむ人がいるらしい。手に入れてみると民主化は夢のようなものでもなかった、こんなはずじゃなかったということなんでしょうね。1998年にスハルトが辞任した時、私は当時の学生達と同じ気分で「やった!」と思ったけれど、同時に「民主的であることは時には結構大変なことなんだけれどな」ということを、この国の人達は理解出来るんだろうか、やがて前の方が良かったと言い出すのではないだろうかとも思ったのも確か。
「スハルトが生きている限りは政権を譲らないだろうし何も変らない。だから自分達の様な貧乏人はスハルトが死ぬのをただ待つだけ」
と、友人が声を潜めて話すのを聞いて何とも暗澹たる気持ちになったんですが、まさかその後スハルト退陣、民主化を堂々と声を上げて要求する流れが起こるとは、その時は想像もつかなかったです。国民が政治に対する不満を堂々と口に出して言う、ましてやデモや反政府的な集会なんて有り得なかったし、それ以前に自分達の力ではどうにもならない世界の話と諦め切っていた雰囲気でしたから。
スハルトの退陣は多くの人達にとって口に出せない思い、恩恵を被って甘い汁を吸い続けていた人達にとっては悪夢。賄賂はインドネシアの文化だとどこかで読んだことがあるけれど、日本の企業なども随分と事業の為に袖の下をつぎ込んで、スハルトの不正蓄財に貢献していたんじゃないでしょうかね。
今年になってだったか、スハルトが危篤だというニュースが伝えられ、色々な器具に囲まれ、娘のSitiや医者に囲まれて横たわるスハルトの写真を見た時、「あの国では満足な治療が受けられないどころか、病院にさえいけなくて亡くなって行く人がまだまだいる中で、スハルトの様に80歳過ぎまで生きることができて(平均寿命は66歳あたりだったかと)、これだけの医療(恐らく日本と比べると気休め程度かもしれないが)を受けているのを見ると、軽い命・重い命があるのよね。そしてやっぱりそれもお金次第・・・」っていう光景を見ているようでしたね。
まぁ、その人生でどんなに不正蓄財で世界有数の資産家になっても、どんなに嘘をついても多くの人の命を奪っても、またそれを何一つ認めなくても、人の命には変わりなく、出来るだけの手を尽くすのが普通なのだろうけれど、どうにもやっぱり腑に落ちないというか何だかね。
スハルトの功罪というけれど、功なんてあったんだろうか。「120人のスハルト一族をとるのか、二億人の国民をとるのか」ということもどこかで読んだけれど、少なくとも一般の人達は不幸だった、120人の為だけの国だったような気がするのだけれど。それでも、スハルト回顧主義みたいなあの時代を懐かしむ人がいるらしい。手に入れてみると民主化は夢のようなものでもなかった、こんなはずじゃなかったということなんでしょうね。1998年にスハルトが辞任した時、私は当時の学生達と同じ気分で「やった!」と思ったけれど、同時に「民主的であることは時には結構大変なことなんだけれどな」ということを、この国の人達は理解出来るんだろうか、やがて前の方が良かったと言い出すのではないだろうかとも思ったのも確か。
"Kami meminta maaf atas kesalahan yang telah diperbuat bapak selama ini." - Siti Hardiyanti Rukmana, putri Suhartoスハルトの長女は葬儀の挨拶で、1998年にスハルトが辞任演説の中で言ったことと同じ様な言葉を言ったんですね。これは父親を許して欲しいと言いながら、自分達子供の数々の汚職・腐敗もついでに大目に見てね、と言う風にも聞こえてしまうのは意地悪すぎるでしょうか。確かに確かに、あの国の人達は気が抜けるくらい寛容であるとは思うけれど、やることを散々やって終いに「許してください」も今更ないもんだと私はやっぱり感じてしまうんですよね。勿論、家族を失った深い深い悲しみは理解できますけれど、それをまた「まぁ、いいじゃないか」と納めてしまいそうな人々の寛容さが、過去にも現在にも向き合っていない様で残念に思うんです。でも、その寛容さが時と場合によってはどうもおかしい、違うんじゃないかと時々感じてしまう私は、きっと寛容であることを忘れてしまったからなのかなぁ・・・とも思ったりもするのですけれど。
(父の行いに過ちがあったとしたら許してほしい)
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by sohla
| 2008-01-28 07:40
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