2005年 12月 04日
写真集の世界の中へ
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ガルーダで夜現地に着いてウブドの小さなコテージにチェックイン。翌日の朝フロントに行ってまず聞いたのが、
「この辺りにライステラスが見える良い場所はありますか?」
今思うと何も下調べして行かなかったんですよね。でも、あの写真集のあの場面はウブドと書いてあったから取りあえずウブドに滞在してみようと。で、ホテルの人が「それならテガラランだね」と言うので、「じゃ、そこに行くからタクシー呼んで欲しい」って言ったんです。これも今思うと恥ずかしいですよね。ウブドでタクシー呼んでテガララン見物なんて。
それでもホテルのお兄さんは「OK」と言って希望の時間に車を手配するので部屋で待っててねと。で、取りあえず待っていると、さっきのお兄さんが来て、
「ここからそう遠くないから僕がバイクで連れて行ってあげる。車で遠くから見るよりバイクであぜ道を走った方いいんじゃない?」と言ってくれたんですね。
もちろん二つ返事でOK。その代わり日中は日差しが強いので、少し日差しが柔らぐ時間に行った方がいいと言われ、それもそうだねと3時か4時頃まで待つ事に。どうやら彼はその時間帯に仕事が終わるシフトだったらしい、が、それにしても自ら案内してくれるとは何と親切なことかと思ったものです。
その後のバリの旅で、こういった親切は数え切れないほど経験することになります。その親切の裏に打算があるものも含めて・・・ですが、大抵は純粋に何か手助けしたいという気持ちからの好意でした。当然最初の頃はその好意の裏には何が?なんて邪推してしまっていたんですけれど、物事を複雑に考えてしまうのは人に優しくない街に暮らす者の悪い癖でしょうか。好意というのはもっとシンプルなものでした。
今やテガラランはウブドから程近いライステラスの見所として有名ですけれど、当時はそれほど紹介されてなかった気がするんですね。小さな小屋の様な家がぽつりぽつりとある程度で、今の様に観光バスも止まらない、物売りもいない、カフェもお土産物屋もない、道路脇のたまたま見晴らしが開けた静かな所という感じでした。
ちょっと下の方まで降りて行ってみたり、遠くで作業を終えて急な段々田んぼをゆっくりと登っていく人を眺めたり、1時間ほどボーッと眺めていたでしょうか。で、何を想ったか。「豊かなんだなぁ、かなわないなぁ」と。
日本での暮らしはそれ程お金持ちではないけれど、仕事があり、こうしてよその国へ旅する余裕もある、そこそこ便利なものに囲まれて暮らしている、情報もどんどん入って来る。でも、ここには目に見えない豊かさ・・・持てる物が少なくても信じるものを敬い、自然と共に大地にしっかり根を張って生きている強さとしなやかさ、揺るがない"大切なもの"がある。それに比べたら私の豊かさなんて、何だか底が浅くてうわついた儚い豊かさじゃないか、「勝てないなぁ」って感じたんですよね。でも敗北感とか虚脱感とかじゃないんです。肩の力がフッと抜けて楽になったと言うか、重い荷物を降ろしたと言うか。
もちろん、実際にあの地で暮らしている彼らは自分達が豊かだとは思っていないでしょうけれど。恐らく昔の日本もそうだったんでしょうね。社会の発展と引き換えに捨ててしまったものがここにはまだあるんだろうなぁ・・・なんてよその国に来て月並みに思ったりして。
その後、右も左も稲がそよぐ細い道をバイクで走り抜け、通りすがりの人達に挨拶をし、時には止まって立ち話をし、身も心もバリという土地に入り込んでいってしまった初めの日でした。恐らく車窓から眺めていただけなら、また別の印象だったかもしれないですね。
「この辺りにライステラスが見える良い場所はありますか?」
今思うと何も下調べして行かなかったんですよね。でも、あの写真集のあの場面はウブドと書いてあったから取りあえずウブドに滞在してみようと。で、ホテルの人が「それならテガラランだね」と言うので、「じゃ、そこに行くからタクシー呼んで欲しい」って言ったんです。これも今思うと恥ずかしいですよね。ウブドでタクシー呼んでテガララン見物なんて。
それでもホテルのお兄さんは「OK」と言って希望の時間に車を手配するので部屋で待っててねと。で、取りあえず待っていると、さっきのお兄さんが来て、
「ここからそう遠くないから僕がバイクで連れて行ってあげる。車で遠くから見るよりバイクであぜ道を走った方いいんじゃない?」と言ってくれたんですね。
もちろん二つ返事でOK。その代わり日中は日差しが強いので、少し日差しが柔らぐ時間に行った方がいいと言われ、それもそうだねと3時か4時頃まで待つ事に。どうやら彼はその時間帯に仕事が終わるシフトだったらしい、が、それにしても自ら案内してくれるとは何と親切なことかと思ったものです。
その後のバリの旅で、こういった親切は数え切れないほど経験することになります。その親切の裏に打算があるものも含めて・・・ですが、大抵は純粋に何か手助けしたいという気持ちからの好意でした。当然最初の頃はその好意の裏には何が?なんて邪推してしまっていたんですけれど、物事を複雑に考えてしまうのは人に優しくない街に暮らす者の悪い癖でしょうか。好意というのはもっとシンプルなものでした。
今やテガラランはウブドから程近いライステラスの見所として有名ですけれど、当時はそれほど紹介されてなかった気がするんですね。小さな小屋の様な家がぽつりぽつりとある程度で、今の様に観光バスも止まらない、物売りもいない、カフェもお土産物屋もない、道路脇のたまたま見晴らしが開けた静かな所という感じでした。
ちょっと下の方まで降りて行ってみたり、遠くで作業を終えて急な段々田んぼをゆっくりと登っていく人を眺めたり、1時間ほどボーッと眺めていたでしょうか。で、何を想ったか。「豊かなんだなぁ、かなわないなぁ」と。
日本での暮らしはそれ程お金持ちではないけれど、仕事があり、こうしてよその国へ旅する余裕もある、そこそこ便利なものに囲まれて暮らしている、情報もどんどん入って来る。でも、ここには目に見えない豊かさ・・・持てる物が少なくても信じるものを敬い、自然と共に大地にしっかり根を張って生きている強さとしなやかさ、揺るがない"大切なもの"がある。それに比べたら私の豊かさなんて、何だか底が浅くてうわついた儚い豊かさじゃないか、「勝てないなぁ」って感じたんですよね。でも敗北感とか虚脱感とかじゃないんです。肩の力がフッと抜けて楽になったと言うか、重い荷物を降ろしたと言うか。
もちろん、実際にあの地で暮らしている彼らは自分達が豊かだとは思っていないでしょうけれど。恐らく昔の日本もそうだったんでしょうね。社会の発展と引き換えに捨ててしまったものがここにはまだあるんだろうなぁ・・・なんてよその国に来て月並みに思ったりして。
その後、右も左も稲がそよぐ細い道をバイクで走り抜け、通りすがりの人達に挨拶をし、時には止まって立ち話をし、身も心もバリという土地に入り込んでいってしまった初めの日でした。恐らく車窓から眺めていただけなら、また別の印象だったかもしれないですね。
by sohla
| 2005-12-04 01:24
| それもバリ、これもバリ
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