2006年 08月 07日
広島・原爆ドーム - 明日の神話
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<平均73・9歳…広島、きょう61年目の原爆忌> - 産経新聞
<広島原爆忌>平和記念式典に4万5000人が参列 - 毎日新聞
私はその土地で生きていないので、良いにしろ悪いにしろ違った感覚を持って見ているのかも知れませんが、この写真を見た時に「崇高」という言葉が浮かびました。61年前にこの上空で炸裂した悲劇を思うと、崇高などと言う言葉は相応しくないのかも知れないのですが、当時、放射能に汚染された広島は生物不毛の地となり、70年間は人間も住めないと伝えられていたことを思うと、もちろん忌まわしい惨劇を心に刻む場所なのですが、それと同時にそこから見事に復興してみせた人間の強さ、エネルギーでしょうか。
"人は忌まわしい惨劇をも誇らかに乗り越えることができる。そしてその先に明日の神話が生まれるのだ"61年前に炸裂した悲劇の瞬間に神話が始まっていたのか・・・などと振り返って今思うのは余りにも軽すぎるかもしれませんが、元安川の岸壁に映し出された「明日の神話」を見てそんな思いがしました。
汐留で現在公開中の岡本太郎の「明日の神話」についてはここで書いたのですが、つくづくとこの作品の在るべき場所というのは、広島や長崎なのではないかと感じます。それも、作品単体で美術館などに展示されるよりも、こうやって核で破壊されたものと一体となった時にさらなる強烈なエネルギーを発するのではないかと感じて仕方ありません。
被爆者の方々、そのご家族の方々があの忌まわしい惨劇を語り継ぎ、核兵器の保有・使用がどれだけ非人道的で取り返しのつかない破壊をもたらすかを身をもって訴えて下さって来たことに頭が下がります。そして、広島・長崎だけでなく国内外で戦争を体験しなければならなかった全ての人達にも。
by sohla
| 2006-08-07 08:14
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