2012年 06月 23日
カレンの眠る日
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Sleep Toward Heaven
アマンダ・エア・ウォード
(Amanda Eyre Ward) 著
務台夏子 訳
新潮文庫
2006年6月発売
幼少期から体を売らされ娼婦として生きて来たカレン、そんなカレンが暴力的な客を殺す場に居合わせてしまったために殺されてしまった男性の妻シーリア、患者の少女の命を救えなかった挫折感と自責を抱え、育ての親である叔父の死をきっかけにカレンが収監されている刑務所の医師を引き受けることになったフラニー。
それぞれが、それぞれの場所で、憎しみ、諦め、挫折、痛み、悲しみ、孤独など、どうしようもない感情を抱きながらやり過ごす日常を、順繰りにそれぞれの視点で淡々と描かれる形で進行し、最終的には3人は刑務所の町で出会い、"ある種の奇跡"(訳者あとがき曰く)が起こるのだけれど、カレンの死刑執行当日に向けて3人の感情が少しずつ動き始め、必ずしも友好的というわけではないけれど、運命が徐々に交差して絡み合って繋がり始めるのがよくわかります。
出だしから途中まで、何となく気乗りせずに少しずつ読んでいたけれど、そのうち3人に関係する恋人、家族、メディア、死刑反対派の人など外野の煩わしさ、それぞれの'その日'に向かうだけの女死刑囚の様子、刑務所の空気や臭いや音、刑務所があるテキサスの場末のバーや食堂の雰囲気などを、私自身も順繰りに3人の目を通して見て感じるようになってました。もちろん、殺人、死刑、遺族の苦しみ、尊厳死などの重いテーマには違いないので淡々と、ですが。
死刑執行停止の努力も叶わず、確かにカレンは"その日"を迎え死んでいくのだけれど、その結末に至る"ある種の奇跡"は、それまで淡々とリアリティをもって描かれてきたのとは違って、私的にはやや唐突な感じがした感じもするけれど、それでもほろり。私はそれが「救い」や「赦し」なのか、本当のところはわからないけれども。
この3人の立場には幸いなったことがないけれど、何となく気持ちや求めるものがわかるような気がしたのは、夫を殺されたシーリアでも、死と向き合わざるを得ない女医のフラニーでもなく、死刑囚でエイズのカレン・・・かな。この本を読んだ他の人は、誰の気持ちがわかるような気がしたのかな。
題材が重い物語なので、読後の気分がカラッとしたものでも、楽しく読めた本ではないけれど、ドロドロとして暗く救いようのないタッチではなく、冷静で淡々と抑制された展開が救い(本国で出版された当時のアメリカの読者評は、テキサスの牛とカウボーイと銃、田舎、ダサさという都会人から見たイメージをユーモアと称えるものが多かったそうだけれど、私的にはピンと来ないのでユーモアは余り感じなかったけれど)で、感動というのとはちょっと違う、心に引っ掛かるというのかな、そんな本でした。
アマンダ・エア・ウォード
(Amanda Eyre Ward) 著
務台夏子 訳
新潮文庫
2006年6月発売
幼少期から体を売らされ娼婦として生きて来たカレン、そんなカレンが暴力的な客を殺す場に居合わせてしまったために殺されてしまった男性の妻シーリア、患者の少女の命を救えなかった挫折感と自責を抱え、育ての親である叔父の死をきっかけにカレンが収監されている刑務所の医師を引き受けることになったフラニー。
それぞれが、それぞれの場所で、憎しみ、諦め、挫折、痛み、悲しみ、孤独など、どうしようもない感情を抱きながらやり過ごす日常を、順繰りにそれぞれの視点で淡々と描かれる形で進行し、最終的には3人は刑務所の町で出会い、"ある種の奇跡"(訳者あとがき曰く)が起こるのだけれど、カレンの死刑執行当日に向けて3人の感情が少しずつ動き始め、必ずしも友好的というわけではないけれど、運命が徐々に交差して絡み合って繋がり始めるのがよくわかります。
出だしから途中まで、何となく気乗りせずに少しずつ読んでいたけれど、そのうち3人に関係する恋人、家族、メディア、死刑反対派の人など外野の煩わしさ、それぞれの'その日'に向かうだけの女死刑囚の様子、刑務所の空気や臭いや音、刑務所があるテキサスの場末のバーや食堂の雰囲気などを、私自身も順繰りに3人の目を通して見て感じるようになってました。もちろん、殺人、死刑、遺族の苦しみ、尊厳死などの重いテーマには違いないので淡々と、ですが。
死刑執行停止の努力も叶わず、確かにカレンは"その日"を迎え死んでいくのだけれど、その結末に至る"ある種の奇跡"は、それまで淡々とリアリティをもって描かれてきたのとは違って、私的にはやや唐突な感じがした感じもするけれど、それでもほろり。私はそれが「救い」や「赦し」なのか、本当のところはわからないけれども。
この3人の立場には幸いなったことがないけれど、何となく気持ちや求めるものがわかるような気がしたのは、夫を殺されたシーリアでも、死と向き合わざるを得ない女医のフラニーでもなく、死刑囚でエイズのカレン・・・かな。この本を読んだ他の人は、誰の気持ちがわかるような気がしたのかな。
題材が重い物語なので、読後の気分がカラッとしたものでも、楽しく読めた本ではないけれど、ドロドロとして暗く救いようのないタッチではなく、冷静で淡々と抑制された展開が救い(本国で出版された当時のアメリカの読者評は、テキサスの牛とカウボーイと銃、田舎、ダサさという都会人から見たイメージをユーモアと称えるものが多かったそうだけれど、私的にはピンと来ないのでユーモアは余り感じなかったけれど)で、感動というのとはちょっと違う、心に引っ掛かるというのかな、そんな本でした。
by sohla
| 2012-06-23 09:40
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