2011年 04月 03日
あれから3週間
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もうそんなに経ったのですか。
でも、残念ながら状況は余り変わっていない感じがします。もしかしたら核心の部分は深刻さを増しているのかもしれません。いや、深刻さが増したのではなくて、元々深刻な状況だったものが少しずつ透けて見えてきただけなのかも知れないです。どちらにしろ余り明るくなれる話ではありませんね。
でも、空を見上げたら桜がポツリポツリと咲いていてハッとしました。
靖国の標本木に5、6輪以上の花が咲いているのが確認され、開花宣言が出されたのは28日だったのですね。何てことでしょう、桜の開花状況よりも、放射性物質とか本日の電力状況とか余震ばかり気にしてました。
今はまだまだ寒そうな枝に僅かな花ですけれども、約1週間で満開を迎えるそう。
今年の桜は、色々な人が色々な思いで見上げる、心に残る桜になりそうです。
ここに家を建てちゃいけないなんて大きなお世話だとか、じゃぁどこに住めばいいのかとか言う人も出てくるかもしれないのに(昔だからそんなことないのかな)、それでも「そこはダメ」と判断して、そのことをちゃんと人々に示した決断力が、80年近く経った今現在の成り行きと比べると潔くて羨ましい。今回の惨事から数十年、数百年後の将来の人たちにどんなことを教訓に残すのだろう・・・と思ったり。
【東日本大震災】避難指示にも「離れられない」20キロ圏内に29人とどまる
そりゃ、会見でmSvだのμSvだのμGyだの、いくら数字を言ったって目に見えるものじゃないし、「ただちに影響はない」って言ってるし、取り立てて強い警告も受けてない、自主的に逃げろと言われただけでその後に具体的な状況説明もないとなれば、被災者の人たちも自分達の家が心配だし身の回りの物も持って来たいと、足があれば避難先から一時帰宅してしまうんじゃないでしょうか。
ただ、「圏内よりも放射線量が高い場所があるのに、距離だけで一律に指示がでている」ことへの不信感は、う~ん、土地を離れないでもいい理由にすがりたいでしょうし、本当に途方に暮れていると思うけれど、既に降って来てしまった放射線量の多い少ないで範囲を決めていたら、少ない地域では不要な措置でも多い地域では手遅れだろうし、影響があるかもしれない無いかもしれないから予防措置なのだろうし、距離で一律というのは仕方ないような気がするのです。
ハリケーンカトリーナが米国を襲った時、近づいて来るハリケーンに備えて続々と避難する為に街を出て行く住民の車で道路が渋滞している様子を見ながら、「もし東京で避難命令が出たら、車のない私はどうやって、どこに避難するんだろう・・・」「避難するにしても行き先がないし」「きっとどんなに瓦礫の山になろうとライフラインが無かろうとここに居続けるしかないのだろうな」と思ったのを思い出しました。
まぁ、ハリケーンの時は原発や放射性物質の問題もなく、私は被災もしていないので「もしそうなったらどうするか」という想像でしか考えられないのですけれども。
でも、不便や不安を強いることには変わりはないけれど、当面の住まいも移動手段も全て用意した、定期的に様子を見に戻る機会も手段も確保する、留守の間の町は責任持って管理する、戻ることが出来るまで町の復興状況などは定期的に逐一報告をする、必ず戻れる町を復興する、と言われてやっと、それでも色々と勘ぐり悩みながら離れる決心がつくかもしれないかなぁ、どうだろう。
でも実際、被災者の方々は何もかも失って、その上今の日常も何かや誰かに委ねなきゃならなくて、それがほんの数日数週間のことではなくて長期にわたり、その後の人生まで影響すると思ったらそんなにすっぱりとは心を切り替えられないですよね、当然だけれども。
だからこそ腹を括って対応して欲しいんですが・・・
「民主と分からぬように」 支援参加議員に党要請
・・・これじゃぁね。
これが本当だったら(・・・最近このフレーズを呟くことが多くて情けない)、腹立たしいほど情けないもんです。個人参加だけど党が募集して国会からバスで現地へ、でも衆・参議員防災服、民主党表示のあるものは不可って、もうワケわからん。仕事する前から恥を晒してどうするの。まさか、あの、政府とボランティアを連携を図るということで設置された、辻元清美特命大臣や湯浅震災ボランティア連携室長の「震災ボランティア連携室」が考えたことではないわよね?
でも、行かれる方は(自衛隊の方々の肩や脚でも揉んで差し上げてと言いたいところですが、せめて足を引っ張らないように)頑張って来て下さい(瓦礫をなでただけで帰って来たらタダではおかないから)。
さて、気を取り直して。
うんうん、そっかー、そうだよね。と小さく頷いてしまうことが多いのです。
最近は「頑張れ」という言葉が上から目線とか、心底大変な状況の人には禁句とか、頑張りを強要してると言う人も多いみたいだけれど、私は自然と口から出る励ましはやっぱり「頑張れ」。もちろん、「そんなことも頑張れないでどうするの、もっと頑張れ」という意味ではありません。それ以上の意味もそれ以下の意味も持たせる言葉ではないと私は思っています。
被災地の方々が「これ以上どう頑張れというのか」と思うのか、それとも一瞬でも励みになるのかわかりません。頑張れと声を掛ける相手と、頑張れと言われる自分を、「私はこんなに辛いのにあなたは・・・」とか「私は大変なのにあなたは・・・」と、上下や良し悪しや優劣や強い弱いで隔ててしまえばそれまで。でもそれは心の持ちようの違いであって言葉の問題ではないと思うのです。この言葉が劇的に状況を好転させてくれるわけでもないし、事態に直接役立つわけでもないけれど、それでも私はこうやって言ってくれることはやっぱり嬉しいしありがたいし励まされます。
でも、残念ながら状況は余り変わっていない感じがします。もしかしたら核心の部分は深刻さを増しているのかもしれません。いや、深刻さが増したのではなくて、元々深刻な状況だったものが少しずつ透けて見えてきただけなのかも知れないです。どちらにしろ余り明るくなれる話ではありませんね。
でも、空を見上げたら桜がポツリポツリと咲いていてハッとしました。
靖国の標本木に5、6輪以上の花が咲いているのが確認され、開花宣言が出されたのは28日だったのですね。何てことでしょう、桜の開花状況よりも、放射性物質とか本日の電力状況とか余震ばかり気にしてました。
今はまだまだ寒そうな枝に僅かな花ですけれども、約1週間で満開を迎えるそう。
今年の桜は、色々な人が色々な思いで見上げる、心に残る桜になりそうです。
此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う「ここまで××mの津波が到達した地点」というように単に「そうだった」と書いた標識のようなものではなくて、さらにだから「ここより下に家を建ててはいけない」という具体的な教訓を残すって凄いですね。
「此処(ここ)より下に家を建てるな」 ――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく)本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
(2011年3月30日07時22分 読売新聞)
ここに家を建てちゃいけないなんて大きなお世話だとか、じゃぁどこに住めばいいのかとか言う人も出てくるかもしれないのに(昔だからそんなことないのかな)、それでも「そこはダメ」と判断して、そのことをちゃんと人々に示した決断力が、80年近く経った今現在の成り行きと比べると潔くて羨ましい。今回の惨事から数十年、数百年後の将来の人たちにどんなことを教訓に残すのだろう・・・と思ったり。
【東日本大震災】避難指示にも「離れられない」20キロ圏内に29人とどまる
そりゃ、会見でmSvだのμSvだのμGyだの、いくら数字を言ったって目に見えるものじゃないし、「ただちに影響はない」って言ってるし、取り立てて強い警告も受けてない、自主的に逃げろと言われただけでその後に具体的な状況説明もないとなれば、被災者の人たちも自分達の家が心配だし身の回りの物も持って来たいと、足があれば避難先から一時帰宅してしまうんじゃないでしょうか。
ただ、「圏内よりも放射線量が高い場所があるのに、距離だけで一律に指示がでている」ことへの不信感は、う~ん、土地を離れないでもいい理由にすがりたいでしょうし、本当に途方に暮れていると思うけれど、既に降って来てしまった放射線量の多い少ないで範囲を決めていたら、少ない地域では不要な措置でも多い地域では手遅れだろうし、影響があるかもしれない無いかもしれないから予防措置なのだろうし、距離で一律というのは仕方ないような気がするのです。
ハリケーンカトリーナが米国を襲った時、近づいて来るハリケーンに備えて続々と避難する為に街を出て行く住民の車で道路が渋滞している様子を見ながら、「もし東京で避難命令が出たら、車のない私はどうやって、どこに避難するんだろう・・・」「避難するにしても行き先がないし」「きっとどんなに瓦礫の山になろうとライフラインが無かろうとここに居続けるしかないのだろうな」と思ったのを思い出しました。
まぁ、ハリケーンの時は原発や放射性物質の問題もなく、私は被災もしていないので「もしそうなったらどうするか」という想像でしか考えられないのですけれども。
でも、不便や不安を強いることには変わりはないけれど、当面の住まいも移動手段も全て用意した、定期的に様子を見に戻る機会も手段も確保する、留守の間の町は責任持って管理する、戻ることが出来るまで町の復興状況などは定期的に逐一報告をする、必ず戻れる町を復興する、と言われてやっと、それでも色々と勘ぐり悩みながら離れる決心がつくかもしれないかなぁ、どうだろう。
でも実際、被災者の方々は何もかも失って、その上今の日常も何かや誰かに委ねなきゃならなくて、それがほんの数日数週間のことではなくて長期にわたり、その後の人生まで影響すると思ったらそんなにすっぱりとは心を切り替えられないですよね、当然だけれども。
だからこそ腹を括って対応して欲しいんですが・・・
「民主と分からぬように」 支援参加議員に党要請
・・・これじゃぁね。
これが本当だったら(・・・最近このフレーズを呟くことが多くて情けない)、腹立たしいほど情けないもんです。個人参加だけど党が募集して国会からバスで現地へ、でも衆・参議員防災服、民主党表示のあるものは不可って、もうワケわからん。仕事する前から恥を晒してどうするの。まさか、あの、政府とボランティアを連携を図るということで設置された、辻元清美特命大臣や湯浅震災ボランティア連携室長の「震災ボランティア連携室」が考えたことではないわよね?
でも、行かれる方は(自衛隊の方々の肩や脚でも揉んで差し上げてと言いたいところですが、せめて足を引っ張らないように)頑張って来て下さい(瓦礫をなでただけで帰って来たらタダではおかないから)。
さて、気を取り直して。
うんうん、そっかー、そうだよね。と小さく頷いてしまうことが多いのです。
最近は「頑張れ」という言葉が上から目線とか、心底大変な状況の人には禁句とか、頑張りを強要してると言う人も多いみたいだけれど、私は自然と口から出る励ましはやっぱり「頑張れ」。もちろん、「そんなことも頑張れないでどうするの、もっと頑張れ」という意味ではありません。それ以上の意味もそれ以下の意味も持たせる言葉ではないと私は思っています。
被災地の方々が「これ以上どう頑張れというのか」と思うのか、それとも一瞬でも励みになるのかわかりません。頑張れと声を掛ける相手と、頑張れと言われる自分を、「私はこんなに辛いのにあなたは・・・」とか「私は大変なのにあなたは・・・」と、上下や良し悪しや優劣や強い弱いで隔ててしまえばそれまで。でもそれは心の持ちようの違いであって言葉の問題ではないと思うのです。この言葉が劇的に状況を好転させてくれるわけでもないし、事態に直接役立つわけでもないけれど、それでも私はこうやって言ってくれることはやっぱり嬉しいしありがたいし励まされます。
by sohla
| 2011-04-03 22:32
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Comments(2)
こんにちは、
内容と無関係でごめんなさい。
江戸東京博物館で開催予定の「五百羅漢・・・」ですが、
会期を短縮したなと思っていたら、地震で空調関係に問題があることが分かり、4月いっぱいまで博物館自体を休むそうです。
修理が済んだら、開催するそうですよ。
興味がおありだと以前書いていらしたので、とりあえずお知らせでした。
内容と無関係でごめんなさい。
江戸東京博物館で開催予定の「五百羅漢・・・」ですが、
会期を短縮したなと思っていたら、地震で空調関係に問題があることが分かり、4月いっぱいまで博物館自体を休むそうです。
修理が済んだら、開催するそうですよ。
興味がおありだと以前書いていらしたので、とりあえずお知らせでした。
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by
sohla at 2011-04-05 19:58
>sariさん
お知らせありがとうございました。
空調関係も含めて色々と影響があったのかも知れないですね。
最近、地震や原発関連のこと以外に目が向いてなかったので、
世の中の自粛ムードとやらも感じなかったのですが、結構イベント
中止や開催内容の変更なども多いそうですね。
「五百羅漢・・・」は結構'濃い'絵なので、心が平穏な時に見る方が
いいかも(笑)。
お知らせありがとうございました。
空調関係も含めて色々と影響があったのかも知れないですね。
最近、地震や原発関連のこと以外に目が向いてなかったので、
世の中の自粛ムードとやらも感じなかったのですが、結構イベント
中止や開催内容の変更なども多いそうですね。
「五百羅漢・・・」は結構'濃い'絵なので、心が平穏な時に見る方が
いいかも(笑)。