2010年 06月 10日
うなぎのこと
|
『江戸の技・江戸の味』の第3回は、明神下・神田川本店のご主人のお話でした。
うなぎは縄文時代から食されていたらしく、ご馳走というよりはやっぱり薬というか滋養強壮を考えて食べていたそうです。んー、最初にあのヌルヌルでニョロニョロを食べてみようと思った人は凄いですね。
蒲焼きという言葉の由来はいくつかあるようで、ウナギをぶつ切りにして串にさして焼いて食べた形が、植物の蒲(がま)の穂に似ていることから、蒲焼きと呼ばれるようになったというものもあるのですって。なるほど、確かに蒲の穂ですね。
開府して江戸は物資の一大消費地になったけれど、江戸周辺では生産が追いついておらず、江戸時代の前期までは江戸で消費される物資は上方で生産されて江戸へ輸送されて来る「下りもの」に依存していて、良質で高級なものは=下りもの、粗悪なもの=下らないものと言われていたんですね。醤油などの調味料も下りもの。それが、中期ごろから江戸と周辺農村部との生産⇔消費の経済構造、上方を経由しない流通経路などが形成され、江戸の周辺部でも良質なものが生産され始めて、あの「江戸地回り経済圏」が成立。
江戸川や利根川流域にある野田(キッコーマン)や銚子(ヒゲタやヤマサ)が濃口醤油の産地となり、これを基に作られた料理・・・鰻の蒲焼、天ぷら、蕎麦、鮨などが江戸東京の味、食の文化になっていったのですよね。なので、それまで串刺しで焼いて塩や味噌などで食べていたのが、今みたいに開いてタレを付けて食べるようになったのは、その濃口醤油が市場に出回りはじめてから。
うなぎからちょっと離れますが、私は日本史が苦手で、特に江戸時代以降は何がなんだかさっぱり(笑)。でも、あの馬でチャカポコしている時代に、既に100万人の人口を支えるインフラを整備して、経済政策があって、そこに暮す人たちがいて・・・と本当にダイナミックですよね。
小川町駅からタクシーでこの講座の会場であるArts Chiyoda3331(旧練成中学校)へと行く時に、運転手さんによって色々な道で行ってくれるんですが、「神田川」の明かりがポッと灯る黒塀のお店の前も通りました。
私自身は余り蒲焼には馴染みがなくて、ちゃんとうなぎやさんで蒲焼を食べたのは2回。20代前半の頃に当時の上司が連れて行ってくれた,確か上野で個室で食べたうなぎやさんと、数年前に新宿・小滝橋通りに大きな提灯を下げて営業していた(今は近くの裏通りに移転)「菊川」と、全く敷居の高くないうなぎやさん(笑)。
いや、でも今思うと老舗でもなく敷居が高くないうなぎやさんでも、やっぱり江戸の技を受け継いでるものの1つなんだよなぁ・・・と、神田川のご主人のお話を聞いた後になると思うのです。
最初の頃は労働者には喜ばれても、身分が上の人たちにとって、うなぎは雑魚だし油も多いし、どちらかと言うと下賎な食べ物だったらしいんです。でも、さっき書いたように関東風の濃口醤油が広まって、開いたり焼いたり蒸したりして油を落して食べるようになると、「あら、美味しいし体に良いのでは?」と言うことになり、丼になり重になり、ハレの日の高くても精力のつく馳走になったんじゃないでしょうかね。その昔でもそこそこお高いものではあったみたいです。神田川さんのタレは、元々が汗を流す労働者に提供していたので、汗を流した後に甘ったるいタレは好まないだろうということで、代々辛口のタレが伝わっているそうです。
・養殖うなぎには当然旬はないが、天然うなぎの旬は「下りウナギ」と言われる、産卵期に海へ下る秋が脂がのった旬だそうで、昔の人は好き好んで不味い夏にうなぎは食べなかった。
・養殖は当たり外れが余りないが、天然うなぎなら何でも美味しいかと言うと、どういう環境でどんな餌を食べて育ったかなどのうなぎの個性や、料理する職人の腕、食べる人の嗜好などによって違うので一概には言えない。
・因みに、神田川さんでは天然うなぎが手に入った時は入り口に「お知らせ」の札を出すそう。
・昔のうなぎや(屋台よりももう少しすすんだ店)は、客がどのうなぎを食べるか選べるように店先にうなぎを置いておき、客は体調によって「今日は小ぶりのこのうなぎを食べよう」などと選んで料理してもらっていたとのこと。なので、料理人と客との真剣勝負だった。
・蒲焼は照り焼きだと思っていたけれど、'燻す'燻製である。
・山椒の使いどころは実は良くわからない。料理人としては、せっかく料理した蒲焼にバラバラと山椒をかけられるとちょっと納得がいかない(笑)。なので、あれは食べた後、口をさっぱりさせるためにちょっと口に含むのがいいのではないか。
・うなぎの血液には毒があって(加熱すると失活するので大丈夫)、もし職人さんの目や傷口に入ることがあると炎症を起こすそう。
・最近は待てないお客さんもいるけれど、注文を受けて背開き・白焼き・蒸し・焼くという一連の作業をすると最低でも40分~1時間は待つもの。
・江戸前という言葉は、元々は江戸前で捕れた鰻の代名詞で、そこから魚介や鮨などへ広がって行った。
因みに、江戸前とは江戸城の前にあった「江戸前島」あたりで捕れたものということだったんでしょうけれど、まぁ地形も変わり魚も捕れなくなってくると、隅田川口から芝浦高輪の海まで辺りとか、多摩川から江戸川河口とか、神奈川の観音崎から千葉の鋸山の頂上までとか、「江戸前」も広くなって来たんでしょうね。
・ちゃんとした仕事をしているならば蒲焼(お重ではなくて)は串を打ったままお出しするもの。
(串の打ち方、揃い方などは技なので、抜いてしまうと誤魔化せてしまう)
その他、職人さんはどういう風に修行するのか、串打ちや、どういう時に包丁のどの部分をどのように使うか、などなど色々なお話しをして下さって、「ほほぅ」とか「なるほど~」と思うことが沢山ありました。「あぁ、うなぎを食べたくなった-」と(笑)。老舗に行く機会はなかなかないでしょうけれど、体と相談してもっと蒲焼を食べてもいいかな~なんて。
「うなぎは蒸し調理でおいしくなる」なんて聞くと涎が出ちゃいませんか(笑)。
そうか。
「昔、ウナギという幻の魚がいて、蒲焼って旨い料理があったんだよ」なんてことになりませんように。そんなことになったら困るだろうけれど、たとえデパ地下で買う蒲焼でも(笑)、これからはちょっと考えて食べてしまうなぁ、きっと。
店名の「神田川」は、お店の栞によると'店主の母方の出身地(相州(相模?)神田村)と名字(宇田川)に因んで「神田川」とした'そうです。どうしても川の神田川を思い浮かべてしまうんですけれども、川の名前はそもそも'カンタカワ'で、'カンダガワ'と濁った言い方をしなかったハズなので、川の名前である神田川とは関係ないとのこと。へぇ~、と一々感心していた1時間半でした。
ご主人の神田茂氏は12代目だそう。200年途切れることなく続いて来た重みというのは大変なものなのでしょうね(と、毎回そんなことを言い続けてますけど、笑)、想像しただけで毎日が真剣勝負だと思うので、実際はその何百倍も神経を使うのだろうな、と。そうやって続けて下さって有難いなぁ・・・。
うなぎは縄文時代から食されていたらしく、ご馳走というよりはやっぱり薬というか滋養強壮を考えて食べていたそうです。んー、最初にあのヌルヌルでニョロニョロを食べてみようと思った人は凄いですね。
蒲焼きという言葉の由来はいくつかあるようで、ウナギをぶつ切りにして串にさして焼いて食べた形が、植物の蒲(がま)の穂に似ていることから、蒲焼きと呼ばれるようになったというものもあるのですって。なるほど、確かに蒲の穂ですね。
開府して江戸は物資の一大消費地になったけれど、江戸周辺では生産が追いついておらず、江戸時代の前期までは江戸で消費される物資は上方で生産されて江戸へ輸送されて来る「下りもの」に依存していて、良質で高級なものは=下りもの、粗悪なもの=下らないものと言われていたんですね。醤油などの調味料も下りもの。それが、中期ごろから江戸と周辺農村部との生産⇔消費の経済構造、上方を経由しない流通経路などが形成され、江戸の周辺部でも良質なものが生産され始めて、あの「江戸地回り経済圏」が成立。
江戸川や利根川流域にある野田(キッコーマン)や銚子(ヒゲタやヤマサ)が濃口醤油の産地となり、これを基に作られた料理・・・鰻の蒲焼、天ぷら、蕎麦、鮨などが江戸東京の味、食の文化になっていったのですよね。なので、それまで串刺しで焼いて塩や味噌などで食べていたのが、今みたいに開いてタレを付けて食べるようになったのは、その濃口醤油が市場に出回りはじめてから。
うなぎからちょっと離れますが、私は日本史が苦手で、特に江戸時代以降は何がなんだかさっぱり(笑)。でも、あの馬でチャカポコしている時代に、既に100万人の人口を支えるインフラを整備して、経済政策があって、そこに暮す人たちがいて・・・と本当にダイナミックですよね。
小川町駅からタクシーでこの講座の会場であるArts Chiyoda3331(旧練成中学校)へと行く時に、運転手さんによって色々な道で行ってくれるんですが、「神田川」の明かりがポッと灯る黒塀のお店の前も通りました。
私自身は余り蒲焼には馴染みがなくて、ちゃんとうなぎやさんで蒲焼を食べたのは2回。20代前半の頃に当時の上司が連れて行ってくれた,確か上野で個室で食べたうなぎやさんと、数年前に新宿・小滝橋通りに大きな提灯を下げて営業していた(今は近くの裏通りに移転)「菊川」と、全く敷居の高くないうなぎやさん(笑)。
いや、でも今思うと老舗でもなく敷居が高くないうなぎやさんでも、やっぱり江戸の技を受け継いでるものの1つなんだよなぁ・・・と、神田川のご主人のお話を聞いた後になると思うのです。
最初の頃は労働者には喜ばれても、身分が上の人たちにとって、うなぎは雑魚だし油も多いし、どちらかと言うと下賎な食べ物だったらしいんです。でも、さっき書いたように関東風の濃口醤油が広まって、開いたり焼いたり蒸したりして油を落して食べるようになると、「あら、美味しいし体に良いのでは?」と言うことになり、丼になり重になり、ハレの日の高くても精力のつく馳走になったんじゃないでしょうかね。その昔でもそこそこお高いものではあったみたいです。神田川さんのタレは、元々が汗を流す労働者に提供していたので、汗を流した後に甘ったるいタレは好まないだろうということで、代々辛口のタレが伝わっているそうです。
・養殖うなぎには当然旬はないが、天然うなぎの旬は「下りウナギ」と言われる、産卵期に海へ下る秋が脂がのった旬だそうで、昔の人は好き好んで不味い夏にうなぎは食べなかった。
・養殖は当たり外れが余りないが、天然うなぎなら何でも美味しいかと言うと、どういう環境でどんな餌を食べて育ったかなどのうなぎの個性や、料理する職人の腕、食べる人の嗜好などによって違うので一概には言えない。
・因みに、神田川さんでは天然うなぎが手に入った時は入り口に「お知らせ」の札を出すそう。
・昔のうなぎや(屋台よりももう少しすすんだ店)は、客がどのうなぎを食べるか選べるように店先にうなぎを置いておき、客は体調によって「今日は小ぶりのこのうなぎを食べよう」などと選んで料理してもらっていたとのこと。なので、料理人と客との真剣勝負だった。
・蒲焼は照り焼きだと思っていたけれど、'燻す'燻製である。
・山椒の使いどころは実は良くわからない。料理人としては、せっかく料理した蒲焼にバラバラと山椒をかけられるとちょっと納得がいかない(笑)。なので、あれは食べた後、口をさっぱりさせるためにちょっと口に含むのがいいのではないか。
・うなぎの血液には毒があって(加熱すると失活するので大丈夫)、もし職人さんの目や傷口に入ることがあると炎症を起こすそう。
・最近は待てないお客さんもいるけれど、注文を受けて背開き・白焼き・蒸し・焼くという一連の作業をすると最低でも40分~1時間は待つもの。
・江戸前という言葉は、元々は江戸前で捕れた鰻の代名詞で、そこから魚介や鮨などへ広がって行った。
因みに、江戸前とは江戸城の前にあった「江戸前島」あたりで捕れたものということだったんでしょうけれど、まぁ地形も変わり魚も捕れなくなってくると、隅田川口から芝浦高輪の海まで辺りとか、多摩川から江戸川河口とか、神奈川の観音崎から千葉の鋸山の頂上までとか、「江戸前」も広くなって来たんでしょうね。
・ちゃんとした仕事をしているならば蒲焼(お重ではなくて)は串を打ったままお出しするもの。
(串の打ち方、揃い方などは技なので、抜いてしまうと誤魔化せてしまう)
その他、職人さんはどういう風に修行するのか、串打ちや、どういう時に包丁のどの部分をどのように使うか、などなど色々なお話しをして下さって、「ほほぅ」とか「なるほど~」と思うことが沢山ありました。「あぁ、うなぎを食べたくなった-」と(笑)。老舗に行く機会はなかなかないでしょうけれど、体と相談してもっと蒲焼を食べてもいいかな~なんて。
「うなぎは蒸し調理でおいしくなる」なんて聞くと涎が出ちゃいませんか(笑)。
一般的に、魚を調理すると、筋肉繊維がほぐれて脂とうまみが外へ逃げ出していきます。ところが、コラーゲンが豊富なうなぎの場合は、蒸し調理の特性である「水」と「熱」が同時に加わると、コラーゲンがトロトロの状態に変化します。うなぎの生態なども、こんなとかこんなとかで、なかなか不思議で面白いんですね。産卵するのに遥かマリアナ諸島西の海域まで大回遊するとか、養殖と言っても卵 から育てるのではなく、海から戻ってきた稚魚のシラスウナギを捕まえて育てているので稚魚の好漁不漁で数も値段も大きく変わるとか、知らなかった。
このトロトロのコラーゲンが脂を身の中に閉じ込めるので、長時間調理によって、うなぎの身は、「ほぐれた筋肉繊維のフワッと感」「コラーゲンのトロトロ感」「脂のトロトロ感」を同時に味わうことができるのです。これが、関東風の極上かば焼きの「トロッ・フワッ」状態なのです。
そうか。
「昔、ウナギという幻の魚がいて、蒲焼って旨い料理があったんだよ」なんてことになりませんように。そんなことになったら困るだろうけれど、たとえデパ地下で買う蒲焼でも(笑)、これからはちょっと考えて食べてしまうなぁ、きっと。
店名の「神田川」は、お店の栞によると'店主の母方の出身地(相州(相模?)神田村)と名字(宇田川)に因んで「神田川」とした'そうです。どうしても川の神田川を思い浮かべてしまうんですけれども、川の名前はそもそも'カンタカワ'で、'カンダガワ'と濁った言い方をしなかったハズなので、川の名前である神田川とは関係ないとのこと。へぇ~、と一々感心していた1時間半でした。
ご主人の神田茂氏は12代目だそう。200年途切れることなく続いて来た重みというのは大変なものなのでしょうね(と、毎回そんなことを言い続けてますけど、笑)、想像しただけで毎日が真剣勝負だと思うので、実際はその何百倍も神経を使うのだろうな、と。そうやって続けて下さって有難いなぁ・・・。
by sohla
| 2010-06-10 00:47
| みる・きく・かんがえる
|
Comments(2)
Commented
by
Sari
at 2010-06-10 04:13
x
鰻とカンタカワの話、面白いです^^
一月にヤマサ醤油の見学をしました。お土産に小瓶の醤油を頂きました♪
銚子で醤油が作られるようになった頃には和歌山から職人を呼んだとか。
船で来たんでしょうね・・・
私は幕末が苦手で今はやりの竜馬はどこがいいのかさっぱり(汗
奈良時代が好きで、ブログに書きましたが、当時の洗濯方法とか座り方、服装などについて調べまくって遊んでいます。ネットのおかげで楽してます(笑
このところバリ台風のせいでバタバタしてネット界を回遊しにくくて^^;
またゆっくり遊びに来させて頂きます~。
一月にヤマサ醤油の見学をしました。お土産に小瓶の醤油を頂きました♪
銚子で醤油が作られるようになった頃には和歌山から職人を呼んだとか。
船で来たんでしょうね・・・
私は幕末が苦手で今はやりの竜馬はどこがいいのかさっぱり(汗
奈良時代が好きで、ブログに書きましたが、当時の洗濯方法とか座り方、服装などについて調べまくって遊んでいます。ネットのおかげで楽してます(笑
このところバリ台風のせいでバタバタしてネット界を回遊しにくくて^^;
またゆっくり遊びに来させて頂きます~。
0
Commented
by
sohla at 2010-06-10 10:18
>Sariさん、こんにちはー。
へぇー、お醤油の工場見学ですか~、面白そう!大人の社会見学ですね。酒や味噌もそうですが、醤油もその土地土地のものがあって(それもまた風土や水や資源に加えて政策などの影響もあるんでしょうが)、本当に違いますね。味の根本、文化や生活が違うという感じで。
カンタカワと濁らない話は言い難いので本当はどうだったのかわからないですが、'川の名前を濁った言い方をしない'という考え方と言うか、想いが、なるほどーですよね。忘れてしまった感覚というか。
あ、バリ御一行様は今いらっしゃってるんですか。大変だー、でもお友達とのひと時を楽しめますね。私もまた遊びに行かせて頂きま~す。
へぇー、お醤油の工場見学ですか~、面白そう!大人の社会見学ですね。酒や味噌もそうですが、醤油もその土地土地のものがあって(それもまた風土や水や資源に加えて政策などの影響もあるんでしょうが)、本当に違いますね。味の根本、文化や生活が違うという感じで。
カンタカワと濁らない話は言い難いので本当はどうだったのかわからないですが、'川の名前を濁った言い方をしない'という考え方と言うか、想いが、なるほどーですよね。忘れてしまった感覚というか。
あ、バリ御一行様は今いらっしゃってるんですか。大変だー、でもお友達とのひと時を楽しめますね。私もまた遊びに行かせて頂きま~す。